鈴木 勝 研究室
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中国語カラオケ行脚  part T
「中国編」

  
(本編は
「卞拉OKでめぐる中国都市ガイド」のタイトルで、中央公論´1996年年5月号にて掲載された。・・・序の部分で「アジア編」と多少、重複個所があるのは、時期を異にして中央公論にそれぞれ応募したためである・・・・結局、続編の「アジア編」は掲載されず・・・・女性の編集長に替わったためか?)。

[はじめに]

   最近、中国&中国人の研究がさかんだ。ひょんなきっかけで“カラオケ”を通して、このテ−マを追求し、一冊の本を書こうという気になった。
ご存じのようにカラオケは日本では大はやりだ。しかし、“改革・開放の波”が荒れる最近の中国ではそれ以上の活況だ。その中国ではカラオケを「卞拉OK」(本ホームページでは活字がないために「卞」となっておりますが、実際は文字の上部は「上」です。念のため)と書く。こんな奇妙な文字が北京にも上海にも氾濫している。そんな中国に駐在し、中国語の歌を一曲覚えたばかりに、“中国語・卞拉OK”に魅かれ他人よりちょっと多くカラオケ・クラブを訪れるハメになった。一方、駐在で中国ライフを続けるうちに、“同文同種”と呼ばれるがまったく違う面を多く持つ「中国人」にも興味が募った。

  『魅かれた“中国語・卞拉OK”』と『興味を持った“中国人”』・・・・こんな二つを中心にして、進みたくなった。 「卞拉OK倶楽部」での中国人は“真実の姿”をサラケ出す。違ったアングルから中国&中国人の研究だ。あの天安門事件の直前に赴任し、その後4年程、北京に駐在した。宴会の後に寛げる場所といえば、カラオケが適当な場所でもあった。日本からのビジネスマンやツ−リストにとって、“社会主義国家”中国でのフォ−マルな雰囲気から抜け出し短時間でも中国のやわらかな空気を喫える場所の一つとして、適した所の一つ。日本人や中国人の老朋友とともに、時には一人で、“足繁く”通うことになってしまった。

 カラオケ・クラブはホントの中国を写す場所ではないともいう人がいる。たしかに入場料は高額で、一般の中国人は到底入れない。したがって、行けるのはある類いの層、例えば最近はやりの個人経営者など・・・だけだという意見も。しかし、現在は経済的にもカラオケへ行ける層の裾野は急激に広がっている。今では充分大衆の動きを反映する所となっている。

  また、カラオケ・クラブは“悪の温床”ともいわれている。ボッタグリや暴力などの危険もはらんでいる。この本のような“卞拉OK
行脚”を勧められないという人もいる。たしかに、最近の上海や深土川(しんせん)などの夜の街は危険な所が多くなってきている。首都・北京にもこんな風潮が出始めてきている。しかし、こんな危険地帯の選定眼を養うのも外国へ行く目的の一つでもあろうとも思っている。改革・開放の波の激しさはカラオケ・クラブの営業にもその時代により大きく影響を与えている。本書の中でいろいろの倶楽部を紹介しているが、大部分は北京駐在中の行脚。この分野は流行に敏感で移り変わりは激しい。ここに登場しているカラオケ・クラブの中ではクロ−ズされている所も少なくない。しかし、クラブは変われども、中国&中国人の気質は不変であろう、と敢えて紹介している。クラブも固有名詞を使用した。こまかく書くことによって、さしさわりの部分もあるかと思うが、中国のナマの姿として紹介を試みた。

  ペンが進むうちに中国本土のカラオケ・クラブから海外の中国語・カラオケにまで飛び火して行った。チャイニ−ズ・ソングは中国だけに生きるものではないことがわかったからだ。北京から東京に帰り、また日本で生活するようになり、身近な新宿や池袋のクラブに「
C H I N A(チャイナ) 」があることを発見。北京で覚えた懐かしのチャイニ−ズ・ソングに度々、出会ったからだ。また、仕事がらアジアの国々や南半球のオ−ストラリアにしばしば行く機会がある。その地域にはご存じのように“チャイナ・タウン”も多くあり、“華僑・華人”が多く住みついている。彼らは政治経済のみならず文化にも中国の影響を強く受けているし、ライフスタイルも中国風を固執している。そんな彼らの憩いはカラオケ。もちろん、中国語の歌が主流で、評判だ。
 最近、これらに拍車をかけているのは、台湾や香港、そして数は少ないが中国本土からの中国人のビジネスマンやツ−リスト。夜には彼らもカラオケ・クラブに繰り出す。そんなアジアの国々で、北京で覚えたチャイニ−ズ・ソングを携えて、カラオケ・クラブにふらりと立ち寄れば、素早くその国の“生”の動きをキャッチできる。その上、ちょっぴりそこに住む“華僑・華人”の生活と歴史をたどれる楽しみもある。かくして、『魅かれた“中国語・卞拉OK”』と『興味を持った“チャイニ−ズ”』・・・こんな二つのテ−マを持ちつつ、中国本土とアジアを歩き続けた。
走口巴(ゾーバ)!   (さあ、出発しよう!) 
  その前に、中国の卞拉OK・小姐のおかげでこの本の出発である「中国語ソング」を歌えるようになった。その小姐たちにまず、「感謝(ガンシエ)」。次に、本書の完成には中国および日本の多くの老朋友が手助けしてくれた。改めてここで「謝謝(シエシエ)と。

はじめに
中国語・卞拉OKソングをマスタ−すれば、『一石?鳥』
[その1] カラオケは政治・世相インスタント把握術

   中国には「収・放(ショウ・ファン)」のサイクルがある。収は“収束”、すなわち“引き締め”を、そして「放」は“開放”すなわち、“ゆるやかなこと”を意味する。中国では政治や経済面はもちろんあらゆる分野で「放」があれば、「収」が時計の振り子のようにやってくるのが常だ。
 そんな「収・放」のサイクルを身近に、そしててきめんに読めるのはカラオケだ。通常は「カラオケ小姐」はお客の横に座ったり、踊りをしたりしてはならないことになっている。「放」の時には開放された小姐たちのはしゃいだ姿があちこちに見られ、「収」になると、政治とはまったく無関係に見えるカラオケ小姐までが緊迫し、よそよそしくなる。収・放のサイクルの事例2件を紹介しよう。

<その1>「カラオケ・クラブでは“愛国の歌”を55曲入れるべし!」もそんな「収」の操作の一つでもあろう。最近の「放」全開の世相を引き締める意図なのかもしれない。“愛国の歌”を備えないと営業許可も与えない・・・とは社会主義国家・中国らしいといわれようが、構わず実行に移している。こんな形式主義より次のアイデァの方がよっぽど効果があがりそうだがどうだろうか?「カラオケ小姐は一晩に必ず、“愛国の歌”を一曲歌うべし!」・・・・この方法を取れば、時には外国人まで中国を大好きにさせるかもしれない。それにしても、こんな小手先の操作で「愛国心」が培われるかというと疑わしい。

<その2>中国では政治に影響を及ぼしそうなビッグ・イベントがあると、その開催の前後はナイトライフまで「収」に早変わり。
1995年9月には第4回世界女性会議が開かれた。180の国々から政府の代表やら市民が5万人ほど参加した中国で史上最大の国際会議。中国の内政問題への関与も考えられて、その期間の警備は厳重そのもの。カラオケ・クラブもその例に漏れない。日頃は「放」全開で大いにはばたいていた三陪小姐(陪舞・陪酒・陪座、すなわち、踊ったり、酒をついだり、そばに座ったりすること)はすっかりなりを潜めてしまった。なんとも湿っぽい夜のエンタ−テインメントとなってしまったこんな時期はお客が少なかろうと、閉店にしまう賢いチャイニ−ズ・カラオケのオ−ナ−もいた。したがって、更に寂しい期間となってしまった。

 また、中国は広い。「収」の時期であってもこんな現象がある。北京政府の意向はなかなか地方には伝わらない。たとえば、北京を離れて、南に行けば行くほど開放の度合いが強くなることが一般。これらの都市がはたして社会主義をヒョウボウした“中華人民共和国”なのかと疑いたくなる上海や広州、そして香港に隣接した深・に踏みいれて、一晩でもカラオケ・クラブに行けば、開放の強烈さに目をみはり、北京との違いをまざまざ見せ付けられる。中央政府の意向が伝達されていない。とは言いつつも、北京政府の首脳は「収・放」を巧みに使い分け、広い中国をコントロ−ルしている。コントロ−ルするために、今後どんなオフレが登場するかわからない。最新のレ−ザ−ディスクを備えた中国人投資家は戦々恐々になっている。ブ−ムのカラオケに対して、厳しい「シメツケ令」が公布されて一晩で大打撃を受けるかもしれない。なんといっても、中国は政治的には共産党一党独裁の国なのだから。

 似かよった分野でこんな例があった。ある年に「ヌ−ド」・・・中国では「芸術人体美」と呼ばれる・・・が解禁され、北京の繁華街・王府井(ワンフーチン)通りの新華書店に陳列され、話題を振りまいた。しかし、その後まもなく“発刊禁止”。この同類の分野が揺れている。その内、・・・の時代のカラオケ営業にも大きな地震がやってくるかもしれない。そう言えば、北京ではカラオケ営業の許可を出し過ぎた反動で、引き締め政策が論議されているニュ−スが最近、日本に到着した。

[その2] カラオケは人治社会でのビジネス成功術

  北京や上海の街にはカラオケ・クラブが最近、かなり増えた。スタ−トした当初は日本、香港、台湾などからのビジネス客や観光客相手が大部分で、一般中国人には金銭的にも近寄れない場所だった。しかし、改革・開放政策の影響でリッチな中国人が増加してきた。また、カラオケそのものが中国人気質にフィットしたのだろうか、街のいたるところに登場してきた。そのためか一般中国人のための社交場にもなってきた。ところで、日本語のカラオケもいいかもしれない。しかし、中国語のカラオケ・ソングを何曲かをマスタ−して、あちこちにある中国人向けの「カラオケ・クラブ」に行ってみよう! 中国語の歌を歌えば、たちまち“老朋友(ラオポンヨウ)”(古い友達)が増えることまちがいない
..。

  中国でのビジネスは他の外国人とのやり方とはかなり違っている。これといった方程式などない。強いていえば、オフィシャルのビジネス・ミ−ティング以外の「宴会」が大いに効果を発揮するということは周知の事実。宴会を通して、中国人は相手の人物の品定めを行い、信頼できる人物と判れば契約書以上に「約束」が守られる。ビジネスの成功・失敗も「宴会」で決定と言っても過言でない。かくして、『宴会の国・中国』となり、毎晩、このホテル、あのレストランで華やかに行われる。ところが、最近、新たな兆しが出てきた。「宴会」プラス「カラオケ」だ。北京や上海の大都市にはお目見えし、ただ今、地方都市に伝播中。
  ある日、NHKラジオ講座の「読者来信」欄にこんな文章が掲載されていたので紹介しよう。中国語の歌の効用を感じていた矢先に強力な援軍を与えられる投書でもあるが・・・

『<上海で小芳(シャオファン)を歌った私>   
  3月に、上海に合弁会社設立のために出張しました。はじめはおずおずとしゃべっていた北京語も、慣れるにしたがって日ごろのラジオ中国語講座の学習がよみがえってきて、大いに役立ちました。帰国前の最後の晩餐会では宴たけなわになるとカラオケがセットされ、歌が始まりました。上海人、香港人、台湾人が北京語・広東語で歌いまくります。私にもマイクが回ってきましたので、あいにくと日本語の歌詞はなく、やむを得ず、講座で聴いたあの「小芳」を歌いました。冷汁一斗、たどたどしい北京語で女子服務員と一緒になんとか歌いましたが、おかげで拍手喝采、面目を施し、今更ながら講座のありがたさをかみしめました。
  愛知県XXX町・佐々木XXX)』
こんな形の「宴会」プラス「カラオケ」がポピュラ−になってきている。中国に出張や旅行の際には、意外なきっかけででチャイニ−ズ・ソングが場を賑わす。ビジネスの場合など、膠着した状況を好転させるケ−スもある。中国人仲間でもカラオケを“潤滑油”的に利用するケ−スも最近、多い。北京に住む友達が最近、自動車の運転免許を取った。特別に教習所の先生にはお世話になったので、最大限のお礼をと思っていた。あれこれ考えるがいいアイデァが浮かばない。率直に申し出ると、「食事とカラオケがいいのですが・・・」と。「もちろん」と答えたという。 

  さて、「宴会」プラス「カラオケ」の例ではなく、「歌」だけのことであったが駐在中にこんなことがあった。ある時、中国で一番大きな旅行社・中国国際旅行社の社内の交流会に、“来賓”として招かれた。突然、大勢の中国人の前に立たされた。なにかしなければならない。挨拶といっても、中国語でぺらぺら喋れるほどの実力がある訳でもなかった。苦肉の策で友人と二人でカラオケ・クラブで覚えた中国語ソング〜最初の頃に覚えた歌の「月亮代表的我的心」(お月さんは私の心を写している)〜を披露。きっと外国人が中国の歌をうたったということもあったのだろう、ヤンヤの喝采を受けた。もちろん、これ以降、仕事もさらにやりやすくなった。これもカラオケ効用の身近な一例というべきか。「芸は身を助ける」・・・・芸の部類に入るか疑わしいが、
とにかく普段の生活で“老朋友”が急増することはたしかだ。

<注> 投書の・・・・のことを。これはは都会派のフォ−クの旗手・李春波のデビュ−・ソング。1992年にデビュ−した時に、わずか2週間で1万3千本のテ−プが売れたという。台湾や香港のポップスが巷に溢れる中で、ひとびとに清新な感動を巻き起こした。

その3] カラオケは中国語会話スピ−ド習得術

 「歌を通して外国語をマスタ−しよう!」・・・なんてのはしばしば聞かれる言葉。しかし、“ほんとに効果があるの?”とか“そんな悠長な方法で”と疑わしいところ。さて、「
你好」、「再見」、「謝謝」だけの言葉からもう一歩を試みたい人に。また、これから中国に旅しようとする人に、そして、仕事で中国にというビジネスマンに勧めますとにかく、“騙されたつもりで、中国の歌3曲を覚えてください!”
  自宅で特訓し、時折り中国語のあるカラオケ・クラブでその成果を試せば・・・歌とともに中国語も身についてくる。最近、都内のカラオケ・ボックスにも中国語ソングが置かれているところが、すこしずつ増えているし、またNHKのテレビやラジオの中国語講座でも歌のレッスンを織り込んでいる。そして、中国への観光旅行やビジネス出張の時に、実地体験をすれば、なお上達すること疑いない。歌の数が増えるにつれて、会話も上達することを保証します。中国語を覚えれば、その応用範囲は広い。中国本土以外、東南アジアでのビジネスでは中国語が重宝がられている。

  しかし、そんな国でビジネス全てを中国語でなんて、高望みをしないでください。中学から大学まで10年近く英語を習っても、モノになっていないことを考えればそれはメイハク。「
你好」、「再見」、「謝謝」と、もうちょっと突っ込んだ中国語会話程度でじゅうぶん結構。これと中国語ソングがあれば、ビジネスとプライベ−トでかなりの程度に輪が広がっていくこと間違いない。中国に駐在または長期に出張しようとするビジネスマンにちょっとアドバイスを。3曲マスタ−して、一人でフラリとカラオケ・クラブに・・・もちろん、安全なクラブを事前に調べて・・・行けば、いやでも中国語をしゃべらなければならない。こんな環境に自分を追い詰めれば、上達が速いのは明らか。それに歌の文句を丹念に調べれば、申し分ない。
 中国人は相手のふところに飛び込めば、やさしい手を差し延べてくれる。こういう私もチャイニ−ズ・ソングのテ−プを次から次にプレゼントされて、消化不良になったことも。なにもテ−プだけではない。いろいろな中国情報を得ることもできる。

 とにかく、
你好」、「再見」、「謝謝」の中国語の会話力の域から、なんとか中国語で電話やら手紙が書ける程度になった自分は中国の歌のお陰だと思っている。ある時、中国人の老朋友から「鈴木(リンム)先生、あなたの言葉は詩的だネ」とほめられたことがある。いろいろな歌を、何度も何度も、練習しているうちにヒンパンに登場する単語を覚えてしまう。日本の歌でもそうだが、一般に歌の文句は日常の生活から遊離した詩的な言葉が多い。最近、中国で流行っている歌は「愛の歌」が多い。なかでもテレサ・テン小姐の歌は私のレパ−トリ−に多い。彼女の歌の90%以上は愛の歌と言うから、そのうち、中国語の「愛の告白」の“達人”になれるかもしれない。

  さて、世界の多くの国々には華僑が大勢住み、「チャイナ・タウン」も数多くあり、そして中国人が行き交っている。なにも東南アジアだけではない。ある時、南半球のオ−ストラリアの西海岸・パ−スに出張した。用事でパ−スの郊外に一日をかけて行った。 丁度同じ長距離バスにシドニ−に住む「移民」したばかりの若い中国人のカップルも一緒だった。英語と中国語で中国&日本の話題を、そして中国の歌のことまで及んだ。そこまでくるとくだけた雰囲気となり中国にいる雰囲気となる。チャイニ−ズ・ソングで世界が広くなってくるのもおもしろい。 

  最近、日本でもちょっとして中国語学習ブ−ムが起こっている。中国の改革・開放政策の影響でビジネス・チャンスも多くなり、産業界の要請を機敏にとらえた理由もあろう。しかし、英語、ドイツ語、フランス語など西欧語学一辺倒から東洋の言語への変化はうれしい。大学でも中国語を選択する学生が増加していると聞く。また、中国語の語学学校の広告もずいぶん目立つようになった。一般社会人の中国語熱も一段と熱くなっている。これにつれて中国の歌をうたう日本の若者もずいぶん増えてきている。中国の出張の折りに、「中国の普通のお土産はいいから、いま流行りのCDをお願い!」とヤング・レディ−に頼まれるビジネスマンも多い。

[その4] カラオケは海外中国人(華僑・華人)社会・熟知術

  
中国人が住んでいるのは中国本土だけではない。アジア一円にその活躍の場所を持っている。これは最近に始まったわけではない。かなり古くからの歴史を持ち、アジアの地域にすっかり根をはやしている。各地域にチャイナ・タウンを作り、中国人同士の地縁・人縁を頼り、たくましい生活を続けている。彼らは「華僑・華人」と呼ばれている。インドネシアでの600万人を先頭にタイ(500万人)、マレ−シア(468万人)、シンガポ−ル(196万人)、フィリピン(100万人)、ベトナム(100)・・・となれば、アジアでの生活には華僑・華人抜きには考えられない。今では中国人・中国系人の活躍はこの地域の“立役者”となっている。したがって、アジアでの昼のビジネス・ト−クは中国語が幅を利かす。昼間の部もそうだが夜の部も負けてはいない。中国式宴会はどこも賑やかだ。それに引き続いて、カラオケ・クラブに繰り出すのも最近の流行り。

 また、最近、中国人のツ−リストがアジア全域に多くなってきている。そのほとんどは台湾人や香港人だが、中国本土からの中国人は少数派ながら混じるようになってきている。このように「アジアの時代」の中心的役割の中国人の活発な動きで、アジアのあちこちにはチャイニ−ズ・カラオケクラブが林立するようになってしまった。シンガポ−ル、香港マカオなどは中国語が母国語だから当然だが、それ以外の国々でも派手だ。インドネシアマレ−シア、フィリピン、タイ、ベトナム・・・でも。こうなると、これからのアジアでは「ビジネスの部」でも「エンタ−テインメントの部」でも、中国語抜きではやって行けそうにない。ところで、「中国語を習おう!」と言ってもそう簡単には行かない。それよりか、チャイニ−ズ・ソングにチャレンジの方がてっとり早い。中国語ソングを3曲下げて、街に出掛ければアジアがさらに広くそして深く見えることに請け合いだ。同時にこのようにハイカイすれば、そこに住む華僑・華人がわかるし、中国語も上達できそうだ。

  ところで、「華僑・華人」についてちょっと、触れておこう。ご存じのように「華僑とは中国籍を持っている一世で他国に出稼ぎ中の滞在者をいい」、また、「華人とは居住する国の国籍を持っている二、三世のことをいう」。日本では華人を含めて、一般に華僑と呼んでいる。英語はでいえば、“OVERSEAS CHINESE”。なお、蛇足ながら、香港、マカオ、台湾住民は「華僑・華人」とはもちろん、呼ばれないなぜなら、これらの地域は歴史的には中国の領土であり、ただ国内的に移動した中国人と考えるからである。中国本土では「海外華僑」と区別し、「香港・澳門同胞」とか台湾同胞」と呼んでいる。
 注)上記の人口数値の出処は「海外華僑華人概況(楊万秀主編・広東人民出版社)1989年によります。

*[中国は二人の“DENG(登 ・・・活字がありません)”に支配されている?]

  もちろん、一人はミスタ−・デンシャオピン(登 小平)。一挙手一投足は世界の耳目を集めた“中国最高実力者”の彼も、最近、「Xデ−」を迎えた。「黒でも白でもネズミを捕るのは良い猫だ」の『猫論』は改革・開放政策の出発の原点。そんな政策を強力に推進して、広大な中国大陸の12億の民を引っ張り、見違えるほどの中国にしてしまった。今後、「ポスト登 小平時代」がどうなるか、正直いって誰も分からない。しかし、しばらくはミスタ−・デンは何かにつけ中国に君臨していくことになろう。
  さて、もう一人は「登 麗君」小姐。この小姐の名前を知る日本人は少ない。別の呼び名の「テレサ・テン」といえば、歌にあまり縁のない日本人でさえピンと来る。ある日突然、訃報が届いた。「1995年5月8日に、気管ぜんそくの発作で、保養先のタイのチェンマイで死亡。42才。」香港・台湾はもちろん、中国本土でもその死を悼むセレモニ−が、相次いだ。

  また、上海や北京のレコ−ド店では彼女のテ−プやビデオを購入するため、長蛇の列だったという。訃報が届いたその晩、日本全国のカラオケ・バ−では「時の流れに身をまかせ」、「つぐない」、「空港」・・・が次々にリクエストされ、新宿や池袋の中国人経営のカラオケ・クラブでは、「我只在乎你(時の流れに身をまかせ)」、「償還(つぐない)」、「情人的関懐(空港)」などの中国語ソングのオン・パレ−ドだったという。ある時、訪れた北京の・・・通りのレコ−ド店には彼女のカラオケ・テ−プが何種類も置かれていた。「永遠的登 麗君」(永遠のテレサ・テン)、「登 麗君懐念版」、「珍蔵版卞拉OK」・・・そして、壁の大きなポスタ−には「難忘的初恋的情人」(忘れじの初恋の・・)と。亡くなってから追憶の気持ちが更に強くなっている。

  こんなに大騒ぎされ、惜しまれたテレサ・テンだが、中国大陸からはいろいろの批判をうけたことは有名。「ブルジョア的な思想や風俗に傾斜し、退廃的」すなわち、“精神汚染の元凶”のように指弾されたのは、1983年から84年にかけて。しかし、そんな追放運動のやり玉にあがった時でも上海などでは彼女のテ−プはよく売れていた。きっと、革命歌曲と違って歌詞や曲がソフトで中国人に目新しく写ったのだろう。また、1989年の天安門事件の際には、香港で民主化を支持するデモの先頭にも立っている。その結果、中国での演奏が不可能になっている。日本でのデビュ−は1974年とかなり早い時期。次々にヒット曲を飛ばした。その理由はといえば、こんなことか? 人懐っこい様子と情感あふれる歌い方なのだろうか。
  ところで、ひところこんな言葉が・・・・「我要小登  、不要老登 」。小登 はテレサ・テン、老登  は登 小平のこと。これは、「私はテレサ・テンが必要で、登 小平はいらないョ!」だ。こんなにいわれたのに、小登 は42才で急死し、老登  は長寿を全うし、つい最近まで、生きながらえた。さて、こんなに親しまれているテレサ・テンの曲は中国内のカラオケ・クラブのどこでも置かれ、毎晩必ず、その歌い手が登場する。

  しかし、そんな現象は中国だけではない。東南アジアの国々に影響を与えている。それは中国人社会だけではない。お隣りのベトナムでもベトナム語に訳され、中国人の歌とは知らずアオザイ姿の女性が楽しんでいる。こうみると、このふたりのDENGさんはまだまだ、中国を支配していることはたしか。それも中国だけではなく、東南アジア全域に大きな影響力を発揮している。この傾向はこれからもしばらくは続きそうだ。

*「愛の歌」でなく「愛国の歌」を55曲入れるべし!

  中国大陸でのカラオケも改革・開放政策の影響で全盛期を迎えている。テレビの主題歌、伝統的ソング、・・・・中国大陸の歌に加えて、人気なのは香港や台湾の歌。これらの歌の大部分は“愛”をテ−マにしたものだ。こんな“愛”のカラオケが主流となっている風潮に、水をさすような「お触れ」が出ているのを、みなさんはご存じだろうか。『カラオケ・クラブでは“愛国の歌”を55曲入れるべし』

<朝日新聞1994年11月23日・・・・中国文化省は20万店を越える全国のカラオケ・バ−、ナイトクラブに対して、愛国歌ばかり55曲が入ったレ−ザ−ディスクを店内に置くように命じた。命令に従わないと営業・免許が取り消される。学校や職場で繰り広げられている愛国主義キャンペ−ンが酒場まで入り込んできた。55曲は社会主義の成果や革命家を描いた百本の愛国映画の主題歌、挿入歌の中から選ばれた。文化省の担当者は「大衆に愛国主義を宣伝するのが目的だ」と語っている。各店は年内にこのレ−ザ−ディスクを購入しなければならない。>

  ところで、この「お触れ」が出される以前にも一定の取り締まりはたしかにあった。駐在時代に北京の首都賓館キャピトル・ホテルの一階に、中国人や日本人が多く来るカラオケ・クラブが新しくオ−プンした。その直後に訪れた時。カラオケ・歌詞リストの中から、好きな歌をえらんで、リクエスト・フォ−ムに記入した。ところが、
  小姐  「この歌は今ありませんヨ!」
  私   「このリストに書いてあるけど、なぜ?」
  小姐  「今、当局がチェックしているのヨ」
  私   「当局って?」
  小姐  「文化部(日本でいう省)だといってたワ。
              新規にオ−プン す ると“順次、
       チェックをする”といって・・・」
  私   「フ−ン・・・・」
と、こんな会話があった。
その後、何回か訪問する度に、その歌の行方(?)をチェックしたが、「この歌は今ありませんヨ!」。当局の規制に反する箇所があり、没収されて返却されなかったのかもしれない。しかし、当局から決して睨まれるような歌ではないと思っているのだが・・・。中国では、「六害追放」キャンペ−ンをただ今展開中!
    「売春」
    「ポルノの制作販売」
    「婦女子供の誘拐」    
    「迷信により人を騙すこと」
    「毒物の吸引・販売」
    「賭博」
これらを国家発展を阻むものと指定し、中国政府は厳しい態度を示している。こんな追放キャンペ−ンを展開している中国政府当局に対して、「カラオケ・クラブ」は気になる存在。特に文化部(省)は「ポルノの制作販売」に対して、目を光らせている。

*[北京語ソング vs.広東語ソング] 
 a) 同じ中国語でこんなに違う!

  中国語・カラオケに通い始めて間もない頃。スクリ−ンに写しだされる歌詞に「アッ」と声を上げた。中国語の文字が2列ずつ、上段と下段とが登場して、2列ずつ消えて行く(その後、あるカラオケ・クラブでは色が上下同時に変わるシステムのものも発見)。たしかに、日本にも時たま類似のものがある。しかし、これは上段が終ったら、下段にと歌い続けるようになっている。中国のはこれとは全く違う。尋ねると上段は普通語で、下段は広東語だという。よく観察すると、歌のタイトルが紹介されると、その画面には奇妙な文字が登場。上段には「国」そして、下段には「  」と記載される。それぞれの意味は「普通語」と「広東語」を意味する。ご存じのように「普通語」は北京語ではないが、ほとんど似ている。中国全土の共通語の役割をしている。

他方「広東語」は広州や香港を中心にして話されている言葉。中国語の知識が全くない時には、普通語と広東語の差異は文字はほとんど同じで、発音だけが異なるものとばっかり考えていた。なおさら、歌に至っては同じ情景では同じ中国語が登場するものと思い込んでいた。更に注意深く見ると、中国語の文字は上段と下段はまったく異なっている。ある時、中国の友人に「こんな面倒なことをせず、一つではどうなの?」と質問をぶつけた。「もともと、広東語の歌は普通語にはあわないんだョ・・・・」と、いわれたが、いまだに理解できないでいる。とにかく、「普通語」と「広東語」の歌の違いがあることを知ったその夜は、大発見で興奮・・・・。

*[北京語ソング vs.広東語ソング] 
 b) 広東語の歌は“時代の最先端”!?


  新宿の中国語・カラオケクラブに上海出身の才媛小姐がいた。上海語は普通語すなわち、国語とはまったく掛け離れた言葉。我々外国人には外国語の一つとして独立させた方がいいと思っているくらいの言語。この小姐はそんな上海語をしゃべり、普通語で歌い、時に最新の香港の歌だといって、広東語ソングを歌っている。日本に来てから2年余、日本の言葉も、そして歌のレパ−トリ−もかなりの程度に達している。そして、今年、日本語学校を卒業し、四年制の大学に入学。第二外国語に英語を選択したといって、今度は英語の歌の練習に余念がない。こうして、数えただけでも数か国語になる。そんな多くの言葉のなかでも広東語の歌を好んで歌うし、その時には喜々とした雰囲気だ。なにやら、広東語の歌は時代の最先端を行っているのだろうか。そういえば、香港ポップスを聞くために、広東語を学ぶ人がいるということを耳にしたことがある。こんな調子で歌の世界には中国大陸に広東語が進出してきている。

  他方、1997年の香港の中国返還も近づいている。最近の香港レポ−トでは香港人の多くが返還後を見据えて、普通語の勉強に精を出しているという。また、最近の中国には大陸出身のポップスの歌手が台頭してきているという。こんな政治的&社会的な背景で普通語(北京語)派がやや優勢になってきている。「北京語ソング vs.広東語ソング」の現象は返還後はどうなる?

*中国語卞拉OK・歌リスト 〜「文字数」でさがす、自分の歌〜

  さて、自分の歌いたい歌はどうやって探す? 
「“アイウエオ順”は中国にはないだろうから・・・・、“ABC順”か“発音順”かな』と。しかし、そんな推量も見事にはずれ。「文字数で探す」というとほとんどの日本人がびっくり。具体的にいえば、こんな具合だ。「愛」、「忍」、「旅」、「縁」・・・、「思念」、「哭砂」、「渇望」、「萍聚」・・・と、一文字、二文字から続いて・・・・・・、最後の歌は17文字の「是不是這様的夜晩人尓才会這様的想起我」。とにかく、びっくりするような漢字の並びの曲で終了。このような配列で大体の卞拉OKリストまたブックは50ペ−ジ近くになる。
 ちなみに、長ったらしいこの歌の意味はと言えば、「こんな夜にあなたは私のことをきっと思い出すでしょう」だ。リストを見ると、大体は3文字と4文字が圧倒的だが、10文字以上の歌もかなりある。となれば、自分の両手を出しても足らない勘定になる。他人の指の手助けも必要とは・・・中国語・卞拉OKは歌う前から楽しい。最近は、中国語のタイトルの中に英語が登場することが多くなった。こんな場合には何文字と数えるのだろうか? たとえば、よく歌われている歌に「叫人尓一声 MY LOVE」がある。単語を一文字と数える。したがって、「6文字」の欄を探せばいい。しかし、この場合はアルファベットが一文字。「限時専送ABC」の歌は7文字のコラムに。次は数字はどうだろうか? 
  北京駐在時に流行った「恋曲1990」。数字のそれぞれを一文字とする。したがって、これは「6文字」だ。したがって、あっちの席でもこっちの席でも“指折り”数えながら、自分のリクエスト曲を探す風景が見えるのも中国語・卞拉OKクラブ。文字数のことを抜きにしても卞拉OKリストをくくっていると、いろいろと楽しい。日本の歌で中国語に訳されたもので、すぐ理解できるものがある。「償還」は「つぐない、「香港之夜」はまさしく字の通り。「逝去之愛」も「LOVE IS OVER」とすぐわかる。「跟往時乾杯」は「乾杯」の歌と聞けば、かろうじて理解の程度か。「星夜之離別」は想像力を逞しくした人に・・・・「星影のワルツ」だよといえば、「ああそうか」という類いだろうか。「我只在乎人尓」は「時の流れに身をまかせ」はまったくわからない。中国語・卞拉OKクラブは日本人にとって「クイズ倶楽部」かもしれない。

*これだけは覚えよう! 中国語ソング

  「芸は実を助ける」 ・・・・大それた芸には入らないが、外国の歌を身に付ければその国の人々から喝采を受けるのはどこも同じ。その国にどのくらい身を入れているかをはかるバロメ−タ−の一つ。中国語でどうです? すぐさま“・・・”(古い友達)になること疑いない。
<その1> 中国大陸の歌。
    1) 思念
    2) 大海口阿、故郷
    3) 康定情歌
<その2> 香港や台湾の歌で、中国大陸のみんなに親しまれている歌。
    1) 月亮代表我的心
    2) 小城故事
    3) 我只在乎人尓
    4) 恰似人尓的温柔 
    5) 恋曲1990
<その3> 日本語の歌で中国語に訳されて、歌われている歌。
    1) 逍遥自在(くちなしの花)
    2) 我和人尓(北国の春)    
    3) 小村之恋
<最後に> デュエット曲として・・・・
    1) 萍聚
    2) 在雨中
    3) 東方之珠

*『中国には“演歌”がない?』

  北京でのカラオケ・クラブではもちろん、中国語が主体。中国本土の歌としてはロ−カル色豊かな民謡調の歌が好まれている。広大な中国に漢民族以外に五十以上の少数民族がいるから当然でもある。そんな歌が一オクタ−ブ高い音で歌われている。また、社会主義国家・中国は革命歌曲を多く持っている。

  他方、香港や台湾のポップスも盛んだ。これらの流行歌曲を「港台歌曲」といっている。商業主義だとか内容がない・・・などとかの非難を受けてもいる。「大陸を席巻した“港台歌曲”」といわれた時期もあったが、最近では中国大陸出身の歌手もずいぶん増えた。もちろん、日本の歌もかなり中国語に訳されて歌われている。外国人がやってくるクラブには中国語以外に英語、日本語、朝鮮語などの歌を多く備えているところがかなりある。ところで、北京のカラオケ・クラブに顔を出すようになって、日本人が多く行くクラブと比較して、「なにか違う!」と思いを持ちつつも、わからないまま。「演歌がない!」とある日本人から来た友人が言った。「そうかな・・・」とその時、頷いたが、だんだんそんな気がしてきた。演歌は日本のカラオケでは特に中年の男性の持ち歌になっている。日本的な感じを持つ曲で、“艶歌”とか“怨歌”と表現されることもある。独特な調べになっている。これに比べ、中国人の好むミュ−ジックは日本的なそれではない。強いていえば、軽快なそして、民謡調の歌が好まれていて、一般に明るい。中国人の性格を現しているようだ。日本人の好む演歌では過去を振り返り、感傷にふけるシ−ンが圧倒的。中国人は過去にクヨクヨした感傷的な態度より、むしろ未来志向的で前向きな性格が一般的。歌にもこんな性格の違いがにじみでてくるのだろう。したがって、演歌が登場しないことに通じてくるのかもしれない。

  ところで、演歌と言えば、韓国人が思い出される。最近の中国には韓国人が押し寄せてきている。中国と韓国が急接近した証拠に北京の街のあちこちに韓国文字・ハングルが踊っている。中韓合弁の企業が相次いで成立している。大勢やってきている韓国人は夜の行動もさかんだ。そのメインはカラオケだ。かれらの歌は日本人以上に演歌を好むと言っても言い過ぎではない。こうしてみると、隣同士の中国人、日本人そして朝鮮人は似通った人種であり、また相似た文化を持つが、やはりそれぞれ微妙に違う。歌の世界では日本人と韓国人がより接近しているというべきだろうか? 歴史上、多くの文化が中国大陸からやってきたが、「演歌」はどうやら中国を源にしていないのだろうか? 朝鮮半島から、もしくは両国でそれぞれ独立的に生じたのだろうか、と素人の勝手な推論をしている。そのうち、「演歌」の源を探って行きたい。

*「毛沢東は復活する!」 (リバイバル・ソング「毛沢東賛歌」)

            “紅太陽(赤い太陽)”
   太陽最紅、毛主席最親、人尓的光輝思想永遠照我心。
   太陽最紅、毛主席最親、人尓的光輝思想永遠指航程。
 (太陽は最も赤く、毛主席は最も親しく、輝かしい思想が永遠に私の心を照らす。太陽は最も赤く、毛主席は最も親しく、輝かしい思想が永遠に方向を指し示す。)  〜和訳・自己流〜

1991年は「毛沢東生誕百年」に該った。
その年、北京の大通りや胡同(路地)を走るタクシ−のラジオから、また長距離列車の中のスピ−カ−から、さかんにテンポの速い明るい歌が流れた。これは文化大革命のころに愛唱された歌ばかりの毛沢東賛歌集の中の“紅太陽(赤い太陽)”。革命歌曲へのノスタルジ−なのだろうか?それにしても、この軽やかな歌は社会主義・中国には似つかない曲だ。なるほど、この賛歌は現代調にリアレンジされたのだという。そして、爆発的な売れ行きを示した。それから、その年がくれた今も、繁華街・・・・通りのレコ−ド店や友誼商店の音楽コ−ナ−には“紅太陽”のCDが陳列されている。その毛沢東時代にしいたげられた 小平同志が強力に推進した「改革・開放政策」のお陰で毛沢東が蘇ったのも皮肉だ。この時に歌だけではなく、こんな珍しい物までがいっしょに登場。“毛沢東お守り”だ。多くのタクシ−、バス、そして一般の自動車のフロントにはそれが揺れることになった。それらの運転手に尋ねると、「“交通安全”や“商売繁昌”を祈ってるんです」という。ある中国人がこんなことを言っていた。「われわれ、お客に対しては近距離の場合、乗車拒否の嫌な顔をするが、“お上”の警察からは殊勝な気持ちを表明しているドライバ−として、見られるんですよ」。 

  その年、毛沢東だけでなく、「周恩来」同志も同時に蘇っている。ある機会があり、二年後に北京を訪問した。急激に増えた黄色い“・・・と称されるタクシ−のフロントには「毛沢東」も「周恩来」もいない。あるタクシ−には「逆さ福」の飾りが一つ。中国語で「福倒」は「福到」と同じ発音(FUDAO)となる。つまり、「福がやってくる」に通じ、縁起を担ぐ。運転手に尋ねた。  私  「毛沢東のお守りはもうしないの?」
 運転手 「もう止めたよ。生誕百年の1991年からしばらく、かけていたが・・・、正直言っていいことは何もなかったヨ!」、「今は“逆さ福”をかけて、“金”が入ってくるよう祈っているんだョ」
ここにも「銭向看」(金儲けと消費に熱中することをいう)の最近の悪習が頭をもたげている。もちろん、最近のタクシ−のラジオからは“紅太陽”の軽やかなメロディ−は流れてこない。今年の流行りだという香港の曲が流れてきている。

*「お客様の横に座ってはいけない?」(カラオケ小姐“ご法度”ル−ル)

  中国に長く駐在して、いつも不思議な思いがするのはいろいろな禁止事項に関して。はたしてどこに記載されているのか・・・なかなか見付からないこと。人伝えで禁止されていることを知るのみ。

  これもその一つ。「陪座」・「陪舞」・「陪酒」。これを“三陪”という。「お客の傍らに座って、サ−ビスをする」、「一緒に踊る」、「お酌をする」。これらが「三陪」といわれる中身。中国では省によって異なった取り締まり法規とはなっているが、これらの「三陪」はかたく禁じられている。これらを犯した場合はその小姐“三陪嬢”も罰せられるが、それを許した倶楽部自体も罰金を科され、その不法収入は没収される。時には営業停止の対象ともなる。これらの出現はまず、改革・開放の波で「経済利益」を追い求める社会環境が挙げられる拝金主義〜これを中国では“向銭看”の風土という。毛沢東語録から発しており「向前看(常に前を看てあるこう)をもじってでてきた単語〜になってきている。これに加えて、個人の意識の変化も見逃せない。伝統的道徳感や倫理意識がガラリと変化しているからなのだろう。ところで、ご参考までに「三陪」以外に「陪」が付くものを紹介しよう。
    「陪観」 ・・・一緒に映画館に行ってくれる
    「陪泳」 ・・・一緒に泳いでくれる
    「陪浴」 ・・・一緒にお風呂に入ってくれる(?)

まだまだ、中国に「陪」が付くものがあるという。
とにかく、これらを総称して「陪○女産業」というらしい。
中国からのニュ−スには“三陪嬢”にまつわる危険なことがセンセ−ショナルに紹介されている。これもその一つ。タイトルは「『上海の夜』の危ないカラオケ・バ−」「『カラオケ・バ−は危険がいっぱい』〜上海市中級人民法院(地裁)はこのほど、日本人客から法外な料金を脅し取った同市内のカラオケ・バ−経営者ら三人に恐喝罪で二年六月の実刑判決を下した。中国で暴力バ−に恐喝罪が適用されるのは異例なケ−ス。金回りの良い日本人観光客が格好の“カモ”にされることが多く、油断は禁物だ。上海紙によると、三人は今年三月、客引きに案内されて店を訪れた二人の日本人に個室と三人のホステスをあてがい、日本人が約二時間カラオケを楽しんだ後、二十万円を請求。“相場”の十倍以上のためお客が抗議すると、逆にすごみ、二十五万円を巻き上げた・・・・・・」(東京新聞93.11.1)
どこもそうだが、中国の夜も自制と警戒が必要だ。カラオケをエンジョイしたい・・・そんな時には・・・・、
   1) 関係先から紹介を受ける
   2) 中国人の仲間と一緒に
   3) ホテルの中の施設を利用する
   4) 庶民的で、人の出入りのはげしい所を選ぶ
   5) 北京には「旅游熱線電話」、いわゆる「観光ホットライン」で教えてくれる。これを利用するのも手。ちなみに、電話番号は(北京)513−0828北京のある日系ホテルにはこんな親切なメッセ−ジが各部屋に置かれている。
      各位先生
      為了 的安全 請注意  請不要答応不相識之人的
      邀請 卞拉OK庁  酒口巴以及 桑那浴
      お出掛けの際に
      カラオケ、バ−、サウナ等の娯楽施設への日本人への
      勧誘にご注意ください。相当の被害額に及ぶ場合がございます。

  そう言えば、最近の料金はだんだんエスカレ−トしている。カラオケが登場した頃にはなかった制度が・・・・たとえば、小姐へのチップについてもいろいろあり、「香港式」とか「日本式」とかがある。また、最近、訪れてみた北京で奇妙な料金を見付けた。五星ホテル「建国飯店」の銀河卞拉OKでは“毎人・人民幣10元・文化管理費”として請求。わざわざ、英語で「CULTURAL TAX」と意味不可解なTAXも出てきている。したがって、クラブに入る時には必ず、事前に料金を尋ねよう。いまの中国にはカラオケに限らず、大中都市で暴利につながる行為が横行している。一般の商店での化粧品販売などいろいろな面で社会問題化している。「暴利取締法」制定も間近いという。    

* 卞拉OK“火車” は走る?

これはホントのカラオケ列車ではない。しかし、こんな形容がぴったりの中国の列車の話しばしば、列車で出張に出た。夜の時間を利用すれば遠くまで行けたので、「夜行列車」にはずいぶん世話になり、いわば常連組。ちょっと、数えただけでもこんな旅を。
  ・北京 → ハルピン      1、391キロ   16時間30分
  ・北京 → 西安        1、065     20時間
  ・北京 → 太原          514     10時間40分     
  ・北京 → 洛陽          819     12時間25分
  ・北京 → 済南          494      8時間50分
  ・北京 ← ・・
- (モンゴル)1、561     30時間
  ・北京 ← 平壌  (北朝鮮) 1、347     22時間
  
  中国の寝台列車の予約はなかなか難しい。しかし、外国人という身分と、また旅行会社に勤務するという身も手伝って、比較的容易に確保できた。硬臥車(日本でいえば、普通寝台列車)はともかく、軟臥車(グリ−ン寝台車)のコンパ−トメントで旅行する限り、中国の列車の旅は乗り心地よし、サ−ビスよし、食事よし・・・と快適だ。ただし、列車の速度が遅く、時間待ちのため一つの駅で長時間停車したりで、急ぎの旅には不向きであることを覚悟すべし。

  しかし、いたって快適なこんな旅もとんだ賑やかな音楽でうんざりする。早朝から極端にボリュ−ムを上げてスピ−カ−から、ガンガン流れて容赦をしない。「こんなにしなくても起きますよ!」と言いたくなる。いろいろな歌が流れてくる。知らない歌だと雑音に聞こえるが、カラオケで習い覚えた曲の場合にはちょっと救われる。こんなところにも中国語ソングを覚えた効用か。同じ列車に乗り合わせた乗客で、曲にあわせて歌い出している悠長な中国人のお兄さんもいたが・・・・。さしずめ、“動く・・
O K ・・・と命名しよう。こう思えば、腹も立たなくなるというもの。こんなにうるさい列車に対して、乗客からスピ−カ−公害の苦情が寄せられるわけでもない。こんなことでメクジラを立てていたら、中国で生活していけない。列車に乗っているときでも、北京の繁華街・・・・通りにいる感じだと思えばよい。ところで、昔の中国の列車に乗ったことはないが、その頃は革命歌の連続だったのでは?最近はテンポの速い流行りの曲が流されているのも、改革・開放の影響の一つといえる。蛇足ながら、汽車のことを中国では「火車」という。他方、中国の「汽車」は「自動車」を指す。念のため。                             

* 社会主義国家の皆さんは・・・「カラオケがお好き?」

  
こんな問い掛けに、どんな回答が返って来るのだろうか? 
すでに社会主義国家・中国のカラオケの全盛ぶりはいろいろと報告済みだし、本書では具体的な体験談を豊富にレポ−トしている。社会主義国家は中国のお隣りにある。そのひとつの“ドイモイ(刷新)”で勢いのついている「ベトナム」はどうだろうか?  ペ−ジにレポ−トがあるように、経済投資関係のみならず、カラオケ分野でもこれまた中国と競争をやっている。もう一つのお隣りさんの「朝鮮民主主義共和国」いわゆる「北朝鮮」はどうかといえば、たしか、ピョンヤンにカラオケ・クラブが登場しているにはいるが・・・とにかく、よくわからない。
  しかし、国民性から推測すれば“カラオケ・好き”の片鱗が見えないことはない。ご存じのように、社会主義国家は一般に言論の自由があまりないし、毎日の生活に圧迫感がある。当然、エンタ−テインメントもそれほど多くないのが現実。そんな環境の中にあって、どうしたことかカラオケが繁盛している。中国やベトナムを見る限り、天井知らずのカラオケ・ブ−ム。この先、どのように進展して行くのかそら恐ろしい気さえする。ひょっとすると、政府としてもカラオケの繁盛ごときにめくじらをたてるほどではないしこの程度の発散が必要と思っているのかもしれない。そして、時折、ちょっとブレ−キをかければよいと考えているのだろう。中国もベトナムも共通に考えているのだろう。したがって、「社会主義国家の皆さんはカラオケがお好き?」の質問には、「YES」という回答になりそうだ。

  ところで、中国に話を戻そう。なぜ、こんなにも卞拉OKが中国人の心を捕えてしまったのだろうか。特に若者にとって。これ以外に現実的なわけがある。今のヤングのカップルにとって、デ−トの場所はいろいろあるというわけではない。「公園」、「映画館」そして最近、急激に増えてきた「卞拉OKクラブ」がさしずめ、3大“約会”いわゆるデ−ト・コ−スといえよう。そう言えば北京の西に新大都飯店がある。日本人はあまり泊まらないホテルだが、こぎれいで、利用しやすく好評だ。この地下一階にシャレた卞拉OKクラブがあり、中国にしてはセンスのよいカップルの多くがいた。ここはカラオケとともにダンスを楽しむ北京でも指折りのクラブ。それにしても、入場料がかなり高いのに多くのカップルが毎晩、押し掛けていた。ところで、こんな外でのカラオケに負けない位に、「家庭カラオケ」もポピュラ−だ。その証拠に器材がよく売れている。エンタ−テインメントの少ない中国では、もってこいの夜の娯楽といえる。

*“聞きかじり”中国カラオケ「発達史」

  最近の中国でのカラオケ・ブ−ムは異常なくらい。かっての中国の駐在員や彼らの体験記の類いから、中国のその歴史をひもといてみよう。中国カラオケの発達史において、「天安門事件」が一つの大きな節目になっているようだ。

1] 天安門事件(1989年6月)以前
  この事件の発生する数年前の1984年頃。天安門広場に近い北京飯店の中にカラオケ・クラブが登場したという。そう言えば、その延長線かもしれない。1989年に北京に赴任した時、そのホテルの一階にカラオケ・クラブが“があり、日本人ビジネスマンの多くが出入りしていた。仕事を終わって、まず北京飯店の二階にある中国には数少ない日本料理“五人百姓”へが日本人駐在員の人気&お定まりコ−ス。その頃、夜の楽しみはと言えば、レストランが中心。しかし、そのレストランも夜の九時半から十時頃には閉店で真っ暗。その後は初期の段階のカラオケに。
  北京飯店のカラオケ・クラブはそんな駐在員の夜の少ない憩いの場所となっていた。なお、この時期に中国人でカラオケに来れるのはほとんどいない。日本人と一緒にやってくる時くらい。ホテルの北京飯店に入るのも制限されていた時代でもあった。したがってカラオケの発達史から見る限り、その期間はいたって緩慢で大きな発達は見られなかったというべきか。北京の日本人駐在員は秋以外にも“夜長”を持て余したものだ。そんな生活は大変だろうとある大きな日本の商社は北京飯店の一室に社員用に思い切り歌える「カラオケ・ル−ムを作ったりしていた。そんな余裕のない企業の駐在員は遠く聞こえて来る歌声を苦々しく聞くのみの北京ライフを過ごした。

2] 天安門事件以降

天安門事件の前後、香港や台湾からビジネスマンや“親族訪問”と銘打った台湾の旅行客が中国にどっと押し寄せてきた。彼らは北京や上海で広東語やマンダリン語の歌を盛んに歌うようになった。こんな香港人、台湾人に刺激されて、北京や上海などの中国人がカラオケの味を徐々に覚えていった。天安門事件の翌年の初め、戒厳令が解除される頃、北京の街にもかなりカラオケが増えてきた。全国ベ−スでは中国的市場経済の進行と平行して、カラオケが沿岸部を中心にして広がっていった。
  そして、内陸部へはこれにやや遅れて1990年代に浸透。このように中国沿岸部から内陸部へと拡大し得たのは、時期がよかったからだという。日本でのカラオケのスタ−トは音だけのカセットから出発し、しばらく続いたが、もしこの状態でこの時期に中国に導入していたら、こんなにも爆発的に行かなかっただろう。より高いレベル・・・テレビ映像プラス歌詞の段階で、音に合わせて画面上で色変わりをして行く、すなわち、動画の背景をエンジョイしながら歌う・・・で、中国に導入したことで、中国人の人気をイッキに博してしまったのだろう。
  こんな爆発的な中国人のカラオケ人気を受けて、ここ5、6年で北京で許可されたカラオケ・クラブは約500軒。上海ではそれをうわまわる数の700軒ほど。大部分は中国人台湾人、香港人相手だが、なかには両都市のそれぞれに20〜30軒の日本人向けにソフトを持っている店があるという。ところで、中国では卞拉OK店の開業はナイトクラブ・バ−・ディスコの開業を意味している。日本では既存のナイトクラブ・バ−が店の付加価値の一つとして、カラオケ・セットを備えることとは違っているのである。

ちなみに、北京での開業にはどんなものが必要かといえば・・・・・・。
 1) 「北京市工商行政管理局」の「営業執証(すなわち、「許可証」のこと)」
 2) 「北京市文化局」の「営業執証」
 3) 「北京市公安局」の「安全合格証」

現在、北京ではこの許可証を発給し過ぎて、20〜30パ−セントほど減らしたい意向だそうだ。中国では既存のレストランが付加価値として、小人数の部屋にセットをする場合には、別の許可が必要になってくる。こんな「カラオケ・セット付きレストラン」を計算に入れれば、卞拉OK店は十倍以上の数字になるという。ある時、香港から深土川に入り、そんな「カラオケ・セット付きレストラン」に招待された。壁にはこんな登録証が額の中に入っている。
         深土川飯店娯楽項目卞(   )
      単位   (組織) :春梅酒店
      核准項目 (許可) :飯市卞拉OK
      経営地址 (住所) :深土川市XXX
      負責人  (責任者):文俊傑
      経済性質 (性質) :个体(個人営業)
  かくして、中国の街、特に上海、広州、北京などには「卞拉OK」の文字がハンランすることになった。それらのナイトクラブ・バ−にはメインの部屋にはステ−ジを備え、液晶プロジェクタ−で投影の大画面を装備する。その周囲に六畳から八畳程度の小部屋を作りそれぞれ三インチぐらいの画面とカラオケ・システムを備えるのが普通。

3] 家庭カラオケの隆盛

こんな人気を博するようになったカラオケは夜の街ばかりではない。「家庭カラオケ」もポピュラ−に。そんな潮流を逃してはいない。最近の新聞、たとえば「北京晩報」の広告には家庭カラオケ・セットの広告が圧倒的。近頃、広告ペ−ジに登場する「ベスト3」を拾って見れば・・・・・。
       ・ 電気製品(エア−・コンなど)
       ・ カラオケ器械
       ・ 別荘やマンション
その他、健康食品、海外旅行などが続く。

  カラオケ器械の購入が盛んになれば、当然テ−プ・ビデオの購入や貸し借り。最近、北京の街の胡同のあちこちに「・・録像帯」やら「・・卞拉OK」の看板が目立つようになった。レンタルの「ビデオ」・「カラオケ」のこと。これはある店で。『24時間−会員3元、非会員5元』。あわせて、『会員になるには1年間、200元のメンバ−シップ・フィ−(入会金)および北京市の戸籍が必要』と記してある。「北京市の戸籍」が登場するのも中国らしい。これも家庭カラオケの延長かもしれない。

  「職場カラオケ」。社会主義国家・中国でも職場での旅行はさかんだ。こちらの方は日本よりもっと派手というか規模も大きい。社員だけではない。家族全員が参加するのも多い。これは最近のある中国の大手旅行社の例。数班に分かれて、海水浴で有名な北戴河〜中国政府要人の避暑地として名を馳せている〜へ社員プラス家族で一週間。催しは毎日いろいろ。もっとも盛り上がったのは「ビ−チ・カラオケ」。浜辺に立派なステ−ジをしつらえての本格的なもの。社員や家族がおもいおもいの格好で歌を続ける。もちろん、「子供カラオケ」で一人っ子も登壇する。また、おじいさんやおばあさん用に「京劇カラオケ」もある。とにかく、賑やかだ。ところで、こんなイベントだけでなく、一般に北京の街などの普通のカラオケ・クラブにも「子供用の歌」や三国志のさわりの部分の「京劇」が少ないながらもおかれている。とにかく、カラオケがさまざまなスタイルで中国社会に浸透している。さて、外でも内でもカラオケ・ブ−ムとくれば、中国人の中にプロ並みの歌い手が次々と出てこなかったら不思議。

ある年の瀬。あるニュ−スが東京に届いた。
『第一回日中友好卞拉OK大会』が開催された。
 主催:・・・センタ−(NHK関連会社と中国国際電視総公司との合弁会社)
 協力:在中国・日本大使館/中日友好協会
日中両国の有志が競った結果、「優勝者」は中国人の歌い手だったという。当然というべきか。それにしても、在中国・日本大使館のイキな行動に拍手したい。

もともと「カラオケ」とは歌の入っていない伴奏だけの「・のオ−ケストラ」を意味しているのは皆さんもご存じ。すでに何回か紹介したように、中国語では「卞拉OK」と書く。この文字を分解すれば・・・・「卞」とは「卞式録音帯」すなわち、カセット・テ−プのことをいい、一方、「拉」とは「演奏する」ことを意味する。したがって、「卞拉」を直訳すれば、「カセット・テ−プが演奏する」ことになる。こうみると、「卞拉OK」は・“漢・英語”と呼ぶべきか。いや、「カラオケ」の造語自体がメイド・イン・ジャパンとなると、日本からの輸入語といったほうが正確か。「コンピュ−タ」にしろ、「ファックスミリ」にしろ、また、「ワ−プロ」にしろ、日本人はそのままカタカナに直して澄ました顔で使用している。

  他方、中国人は外来語に対して、そのまま使用するのはいたって消極的。中国人は意味や内容の特性をとらえて、それにあった漢字に変換させる達人。したがって、それぞれ、「電脳」、「伝真」そして「文字処理機」としている。しかし、そんな“達人”といえども外来語を即座にうまく転換できるわけではない。外来語をそのまま、漢字に当てはめる方法も多い。「卞拉OK」も転換に悩んだ結果、きっと発音のままになったのだろう。台湾の本を読んでいたら・・・「・・・・・と訳していた時期があったという。すなわち「客は楽しく、我は歌う」、または「客が我の歌を楽しむ」。これもまた、楽しからずや。
  
話はちょっとそれるが、カラオケと縁のあるディスコのことについて。「・・・」・・・この漢字はすっかり中国に定着している。最近の北京や上海にはレジャ−・ビル(娯楽城)が流行っている。“食の国”らしく一、二階はレストラン。三階はディスコ、四階はカラオケという具合だ。中国人の合理精神にマッチした建物だ。もちろん主流はヤング。こんな・・・クラブが最近、若者でいっぱいだ。一方、年配層は夜のディスコにはあまりやってこないが、腰をフリフリの格好はうまいもの。中国では「老人ディスコ」が盛ん。夜のかわりに早朝の公園でカセット・テ−プから流れるテンポの速いリズムに合わせて活発だ。こんな面は日本ではあまり知られていない。
  さて、本論の中国文字に戻ろう。中国人は一般に単語の中にロ−マ字が混入するのを嫌う。「卞拉OK」の文字は「・・・・・・・・といわれている。これは「中国風でもなく、西洋風でもない」ということ。とにかく、中国の専門家の中にはこんな言葉を使ってほしくないという人も多い。しかし、敢えて「・・・・・などを使用せず「卞拉OK」にしたことは、これからの中国人は外国文化の移入にさらに柔軟になってくるにちがいない。それとも、何年かすると「コンピュ−タ」、「ファックスミリ」や「ワ−プロ」などの運命と同じように独自の漢字が編み出されるのかもしれない。北京や上海の街から「卞拉OK」の文字がこつぜんと消える日がやってくるかもしれない。

<中国語・卞拉OKソング特訓>
中国語を知らなくとも中国ソングを覚える法

カラオケ小姐 「せっかく、中国に来たのだから中国語の歌をおぼえたら・・・」
私      「ムズカシイよ。日本語でもカラオケはどうも苦手で・・・」
小姐     「一緒に歌ってあげるから・・・。やさしい歌の“月亮代表我的 
        心”ぐらいからはじめたら?」
私      「じゃ−。2週間ください。練習するから・・・」
と、ある晩、あるカラオケ・クラブでこんな具合の会話が。

 早速、北京の目抜き通りの・・・に行き、メロディ−を知った「月亮代表我的心」のテ−プを購入。「月亮代表我的心」(月はわたしの心を表している)の歌は中国人なら知らない人はいないほど。カラオケへ行けば必ず、きかれる歌。中国カラオケに顔を出すようになってからまもなく、意味は判らないまでもメロディ−はすぐおぼえてしまった。ところで、中国語はどうかというと、北京駐在したての頃は全くダメ。その頃、家庭教師を付けて習い始めていたが、まったく前進ナシ。中国語の全くのビギナ−であった。とにかく、約束を守らなくてはならない。テ−プに付いた歌詞を拡大コピ−し、ピンインで発音をふり、意味を調べて書き添えた。 その後は部屋で大声で歌うしかない。くりかえし、くりかえし・・・・。そして、約束の2週間。クダンの小姐と覚えたての歌を歌う。彼女のリ−ドでなんとか終りまで。結構、いけた。なんだか変な自信が湧いてきた。その後、ときおり通うことになった。その都度、同じ歌を。しばらくすると他の中国語の歌に挑戦したくなった。それから聞き覚えのある歌のテ−プは片っ端から買って、歌の数を増やしていった。敢えて順序だてて、自己流の中国ソングの覚える方法を開陳すれば・・・
   1) 歌詞を拡大コピ−し、余白にピンインおよび意味を書く。
   2) 5回程、ジ−と聞く。
   3) 20〜30回、歌とともに続けて歌う。   
   4) 習いたい歌に絞ること。テ−プにそって他の歌とともに覚えようとし
         て歌ってはダメ。同一曲を何度も何度も歌うのがコツ。
   5) テ−プには二種類ある。歌が入ったものと伴奏だけのもの。中国語で
      いえば前者を「立体声」、後者を「卞拉OK風伴奏帯」という。これ       らを使い分けて練習する方法もある。
結局、こんな調子でチャレンジした曲数は100曲ほどになってしまった。ところで話はちょっとそれるが、・・・のテ−プを販売している音楽店で好みのテ−プを買う苦労話をすこし。

<その1> とにかく、音楽店は常に混み合っている。テ−プはガラスのショ−ケ−スに入っているが、ポピュラ−・ソングとなるとその場所はさらに人だかり。そのカウンタ−に近付くまでがまず、大変。

<その2> 歌のタイトルを口頭で言えないから、多くのテ−プの中から指を指して選ばなければならない。メロディ−だけやら、歌詞がなかったりでは練習にならない。あれこれ店員に取ってもらったり、聞いたりしていると、ツッケンドンで有名な中国の服務員・(店員)はさらに無愛想になる。(日本的にテ−プを陳列して、お客が自由に手にとって選べる方式にすれば、便利なのだがそんな売り方は中国ではやってくれそうにない。)
  ところで、こんな苦労をして買ったものでも、家に持って帰り開けると歌詞が付いていなかったり、時にはそれがあっても歌う歌と歌詞がずいぶん違っていたりで、欠陥商品がかなりあった。とにかく、好みの歌のテ−プを購入するのは至難の技。しばらくして、いいアイデアが浮かんだ。カラオケ小姐にテ−プの購入を依頼することにした。その後、伝統的な歌から流行りの新曲までかなり集まった。最後には集まり過ぎて“消化不良”の状態になってしまった。日本に帰国の際に、北京空港まで送ってくれたカラオケ小姐のプレゼントは新曲のテ−プを幾つか。日本帰国後はチャンスもなく、いまだに“ニュ−”の状態。時期をみて特訓をしたいと思っている。

* 日本の歌をまず、覚えよう!

意外に多くの日本の歌が中国語版になり、卞拉OKでは中国人に歌われている。例えば、「北国の春」はそのまま「北国之春」に、テレサ・テンの「     」は「    」に。
レパ−トリ−を増やすにはまず、日本の歌にチャレンジするのがよいのかもしれない。中国版になった時の日本の歌に関して。強いていえば、中国人の「大陸的性格」か。

その1) 中国語に忠実に訳されているかといえば、NO!
日本語では歌詞の1番から3番まで、情景がきめ細かく表現されているのに・・・中国語訳は1番から3番まで、全く同じが圧倒的に多い。しかし、この方が歌い手にとって覚えやすいといえば覚えやすい。短期間にマスタ−できる仕組みになっている。考えてみれば、日本のように几帳面にする必要はないのかもしれない。従って、「北国之春」は次のような中国語訳のみとなる。なお、「北国の春」は「北国之春」とともに「     」というタイトルで訳されて、親しまれている。
その2) 情景が全く異なる歌がけっこうある。そんな例をいくつか。

 卞拉OK?態
[カラオケに見る中国人気質]
[その1] 歌はヘタでも、格好はプロ(自信家)


  日本人がカラオケ・クラブで歌う格好はかなり堂々としてきた。しかし、日本人以上に・・になり、見ていてほれぼれするのは中国人かもしれない。卞拉OK倶楽部は最近、個室が多くなってきたがやはり、広いスペ−スが主流。2、3面のスクリ−ンとステ−ジを備えている。こんな設備は中国人をさらに刺激する。ステ−ジの上ではポケットに手を入れて、カッコウをつけたり、背の高い椅子に寄り掛かったりのしぐさをする。アマチュアの域を脱している。とにかく、そのパフォ−マンスは小気味良い。
  こんなことで思い出されるのは「小皇帝」と呼ばれる“一人っ子”。ところで、“一人っ子”をご存じですか? すでに中国の人口は12億を超えている。これを抑制するために中国政府は子供は一人を推進させている。二人目の誕生には罰金を科したりして、躍起になっている。したがって、中国人ファミリ−は父母と祖父母に囲まれて大事に育てられて“小さな皇帝”さながら。さて、そんな一人っ子が北京の遊園地で写真を撮っている。母親に向かって、さかんにポ−ズをとっている。小さい頃からパフォ−マンス“人間”が鍛えられている。また、パフォ−マンスといえば、最近はやりの「ファッション・ショ−」。中国のあちこちで人気だ。背が高く、足がすらりとしたチャイニ−ズの美人は多い。ファッション・モデル特有の歩き方を教えればいいことになる。恥ずかしがらない中国人の性格はすぐ体得する。近頃、中国人が世界の外交舞台に登場する機会が多くなってきている。そんな時にも、英語があまり上手でなくとも、堂々とわたり合っているのは日本人として羨ましい。カラオケクラブの態度とイコ−ルだ。

  他方、日本人はどうか。カラオケでは堂々たる態度でマイクに向かう歌い手がかなり増えた。しかし、「スピ−チをどうぞ!」と依頼されると、トタンに萎縮するのが大多数だ。この日本人と反対なのが西欧人。たとえば、しばしば訪れるオ−ストラリア。豪州人と時折り、カラオケに行く。そんな機会にこんな姿も珍しくない。オズオズした歌いっぷりだが、いったん、フォ−マル・スピ−チになると堂々たる格好。こう見ると、歌とスピ−チの両者に長けているのはどうやら、中国人か?ただし、これはあくまでも一般論。

卞拉OK?態
[カラオケに見る中国人気質]
[その2] 他人の歌になぜ、拍手? (傍若無人人間)

「パチパチ・・・パチパチ・・・」。
日本の卞拉OK・クラブに行くと他人の歌に拍手する。そして、時には手拍子まで登場する。ホントにうまい場合で心からそんな気になる時もあろうが、日本人特有の周囲を気にした“義理的感情”から発しているのかもしれない。ところで、「拍手」といえば、ひところは中国人の「御家芸」だった。これは社会主義国家に共通なのかもしれないが・・・。今なお、北京や上海を訪問するとフォ−マルな訪問の時などに出会う。歓迎や賞賛を表すしぐさとなっている。
  しかし、今ではまれになってきた。ところが、中国のカラオケ・クラブを覗いて見ると分かるが、中国人はめったに他人の歌に拍手しない。ましてや、他人が歌うのにあわせて手拍子を打ったりなどとんでもない。となると、“袖すりあうも他生の縁”という言葉があるが、中国のカラオケ・クラブには「この諺はない?」。 たしかに、同じ仲間なら時には盛り上がり、拍手も登場することもあるが、他人が歌う歌にはいたって無頓着。他人が歌っている時には、こちらの仲間とペチャクチャ。したがって、拍手なんてとうてい出てこない。では、中国には“・・・・他生の縁”がないかといえば、カラオケ・クラブ以外には中国には無数の例がある。

  中国に駐在中、夜行列車にはよく乗った。こんな時、同じコンパ−トメント(部屋)の中国人には一様に世話になった。日本ではお互いにツンとすました関係が多いのだが、中国では人なつっこく、打ち解ける場合が多い。とにかく、他人であるうちは傍若無人の関係だが、いったん仲良くなると急速に間柄が進展するのが中国人か? さて、拍手に戻そう。日本でよくある「ノド自慢大会」。日本では“カネ一つ”の場合でも“お義理”の拍手が多い。しかし、中国ではめったに登場しないのが常。どうやらこう見ると、日本人がまわりを気にし過ぎるのかも知れない。日頃の生活全般がカラオケ・クラブの場合にもあてはまる。

 卞拉OK?態
[カラオケに見る中国人気質]
[その3] 順番が回ってこない!(ヘタでも歌いたがり人間)

  「これが中国人?」。ノドの方はそれほどでなくとも、マイクを持って頑張る。誰も彼もが・・・。中国人のグル−プの多い時には自分のグル−プに順番が回ってくるまで、かなりの時間がかかることを覚悟したらよい。日本人のグル−プであったら、カラオケにきてもちょっと歌に自信がなかったりすると、“どうぞ、どうぞ、お先に!”と遠慮したりする。
  また、仕事の話などで夢中になると歌うどころでない。しかし、中国人グル−プは必ず、歌う。同じグル−プでまとめて数曲、申し込む場合もある。店のママやマスタ−が公平に順番よく歌わせる配慮をしているクラブはよいのだが、そんな配慮のない所や、最近、登場してきた順番が電光表示される所では問題だ。同じ歌い手が2、3曲続けて歌うことである。連続で堂々と歌う心理はどんなものだろう?自分の仲間以外はそれこそカボチャぐらいしか思っていないのだろうか? いや、申込をして順番が回ってきて、自分の権利は当然だと思っているからなのだろう。とにかく、歌に自信がなくても堂々としているからご立派。そんな気質が日本の中国人経営のカラオケ・クラブでも見られる。

  中国人の小姐自身がお客の歌う合間に、繋ぎ役として申し込む場合がある。ところが、お客で満員の場合でもホステス役の彼女たちは平然と歌う。この現象はクラブの経営者の指導の善し悪しということもあろうが、日本人のカラオケ・クラブとの雰囲気とはだいぶ違う。また、直前に他人が歌った歌でも続けて歌う場合。こんな時、日本人と中国人の差異がでるような気がする。日本人の方は周囲に気を使い、連続しては歌わない。聞いているお客がシラケた雰囲気にもなることを知っているし、また、ノド自慢大会になり比較されそうだと気にする。とにかく、直前に他人が歌った場合は意識的に歌わないのが一般的。

  ところで、こんな風潮で中国人仲間だけで順番がなかなか回ってこない・・・イラダチからなのだろうか、最近の中国のカラオケには個室がずいぶん増えた。元来は広い場所で、ステ−ジに上がって、みんなの前で歌うのを好む習性なのだが・・・やっぱり一曲でも歌いたい欲望の結果、“個室人気”につながったのだろうか?こんな欲望もたしかにあるが、中国人にはこんな隠れた特性がありそうだ。ひょっとするとこの理由から個室が増えているのかもしれない。一般に中国人は特別扱い・・・すなわち、VIPとして・・・遇されるのを非常に喜ぶ。個室カラオケはそんな気持ちをくすぐり、また周りからリッチだと見られる。その証拠に個室に出入りする中国人の様子をごらんください!ちょっと胸をはったカッコウを。

  さて、話は飛ぶが北京にいる頃、こんな事件が起こった。「3回連続歌唱事件」と呼ぼうか。混雑したカラオケ・クラブで、同じグル−プが3回連続で、しかも、2回は同じ歌い手となれば、もめごとに発展することは当然。彼らはきっと、ママさんに強引に頼み込んだのかもしれない。私の仲間の一人がクラブの・・・に強力に申し入れすると共に、その連中にわかるようにわざと音をたてて退出。その・・・はしきりにお詫びを言って、追い掛けてきたがのだが。しかし、当の本人たちは気付かない。中国ではカラオケ・クラブでも“知っている”ことを武器に頼み込む、いわゆる「人治」が登場する。こんなことは日常茶飯事のこと。

  さて、これを逆手にとって利用したスト−リ−。あるVIPが東京からやってきた。宴会の後に「ぜひ、中国のカラオケでのどを試したい」と言う。あるクラブを訪ねると運悪く超満員。この調子ではなかなか順番が回ってきそうにない。当のVIPはあわただしいスケジュ−ルでそれほど時間はない。・・・に特別依頼。ものの5分もしないうちに、VIPの名前が呼ばれ、日本の曲が始まった。「人治の国・中国」の良さをあらためて実感。これは案外、外国人優遇策の一環だったのか、またはひょっとすると「外国人特別レ−トだったのかもしれない。

 卞拉OK?態
[カラオケに見る中国人気質]
[その4] なんでも機会利用 (役得人間)

  “宴会の国・中国”ではいかにヒンパンに宴会ができるか・・・いつも考えているといったらオオゲサか?上は政府の各官庁から民間のいろいろな組織まで。したがって、餐店(レストラン)に投資することが一番だという結論に達する。こんな発想からでてきたのかわからないが、中国の各政府機関は餐店(レストラン)を持っている。これはなにもレストランだけにかぎらない。宿泊施設もあれば、なお便利とばかりホテルに投資をしている場合も多い。北京市内で政府機関が投資しているホテルを見てみよう。
 王府飯店 (パレスホテル    ) レストラン  カラオケ  解放軍
 首都賓館 (キャピタルホテル  ) レストラン  カラオケ  国務院
 長富宮飯店(ニュ−オ−タニホテル) レストラン   なし   北京市
 崑崙飯店 (コンロンホテル   ) レストラン  カラオケ

こうすれば、宴会も宿泊も安上がりだ。こんな考えは政府関係だけではない。民間の組織も右にならえ!とばかりだ。駐在中に関係の深かった旅行社は新たに餐店を作り、招待の宴会はいつも同じ場所。招待主は宴会が何回もできて大喜びのようだが、招待される側は同じ場所でいつも似通ったメニュ−でうんざりしているのをご存じないようだ。

  さて、こんなレストラン付ホテル(ホテルとして当然だが)に加えて、「カラオケ付ホテル」も登場している。最近できる新しいホテルには「お客様のニ−ズに応えて・・・」という大義名分で、ほとんどがカラオケ付きだ。こうすれば、宴会の後のカラオケまでも「無料」または「“超”破格の値段」でエンジョイできることになる。こんな話があった。北京市内のあるデラックス・ホテル(日本と中国の合弁)で改修計画が話題になった時に、中国側からカラオケクラブの設置の要求が強くあったとか。このように改修の必要なホテルでさえも必ず、カラオケ施設の追加プランが上がってくる。さらに、外国企業が中国の組織と合弁でカラオケクラブを作ろうという企業も登場してきている。
  北京での「合弁第一号」はある“5星カラオケ”で、中国の一、二を争う旅行社が中国側投資者。合理的と言えば合理的だが、投資側自身、いわゆる身内が利用する頻度が多くなって営業的にうまくいくかが気になるところ。会社の幹部が親戚・知人の多くを連れて行くなんてのはザラ。この場合、「割引」なんてのはない。中国では「全額フリ−」が国民性に合致している。したがって、中国との合弁計画を立てる時にはこころすべきがこんな点か。 

 卞拉OK?態
[カラオケに見る中国人気質]メイウェンティ
[その5]なんでも、“没問題”!(万事、おおよう人間)

中国人が好きな言葉に「メイウェンティ!」。「問題ないョ!」がある。
  どんな危機に直面しても、この言葉がとびだしてくる。まさしく、中国人の性格を言い当てるのにもってこいの言葉だ。最近、日本と中国の合弁事業が活発だ。そのため、多くの日本人が北京や上海に出張したり、また駐在している。仕事上では共同していろいろなプロジェクトを計画して邁進している。契約事項も多い。しかし、彼らは契約に向けて進もうとするが、合意になかなか達しない。両国人の波長が異なるからでもある。日本人はやや性急に結論を求めるのに対して、中国人はやや長いスパンで物事を考える習慣が一般的。また、大筋を決定すれば細部には拘泥しないのが中国人か?こんな細かい点にはいちいち気にしない“おおようさ”が、カラオケ・ソングにも登場する。

<その一> 「歌は一番だけ?」

  最近、日本の歌が中国でも人気。そのまま、日本語を覚えて、発音もうまく歌う中国人もかなりいるが、大部分は中国語訳の歌。「逍遥自在」も日本のオリジナルで、中国人に親しまれている。「くちなしの花」だ。早速、あのム−ドある歌の中国語版を覚えようと、テ−プを購入。日本語の歌詞が中国語に訳されている。しかし、「まてよ。2番も1番と同じだ。あれ−、3番も同じじゃないか!」かくして、通常覚える労力の1/3で「くちなしの花」の中国語版をマスタ−してしまった。とにかく、一度に三回ずつ歌うことになり、上達も速いことになることはたしかだ・・・・・。そう言えば、こんな調子で1〜3番まで同じ中国語訳の歌がずいぶんと多いことはたしか。
ところで、日中合弁でミュ−ジック会社を設立した場合を考えてみよう。日本人が入った場合には「1番」だけの歌は決して、誕生しなかっただろう。日本人の“律義さ”を反映して、3番まで訳されて完成されただろう。くわえて、歌の文句も忠実に訳して・・・。

<その二> 「めでたい歌が失恋の歌に?」 〜「乾杯」の中国語版〜

「乾杯」は日本の結婚式によく歌われる歌。北京や上海でこの中国語版が大はやり。中国語のタイトルは「跟往時乾杯」となる。英語で“TOAST TO THE PASS”と添えられている。「過去に乾杯!」の意味となり、中身は失恋に早変わり。結婚式では歌えない歌となっている。こんな非難めいたことを中国人に言ってはみたが、日本人も同じ過ちをやってはいないかと気にかかる。そう言えば、ある時、韓国人に指摘されたことがある。ヒット曲・「釜山港に帰れ」。韓国では兄弟愛の歌なのに、日本では男女の愛の歌にすり替えられているという。

<これ以下を中央公論に発表・・・上記中国人の性格などは一冊の本のために、書き加えたものである>中国編の大部分は北京駐在中の行脚の記録だが、日本に帰国後の今もアジアの国々を歩きまわっている。

<北京編>
「釣魚倶楽部」・・・中国政府“お墨付き”カラオケ

カラオケ・クラブの領収書を貰って驚いた。「釣魚倶楽部」になっている。
こんなオドロキのカラオケ・クラブがあった。それも北京のド真ん中の北海公園の中。政府要人が住む“中南海“〜北京・中央政府の要人が住居を構える地域〜のすぐ近くに位置する。入口には煤けて、年月を経た「釣魚倶楽部」の看板があり、一般の人にはこれがカラオケだとは絶対思われない。こんな調子だから、お客は口こみでやってくるしかない。夜12時を過ぎれば、公園の中は真っ暗。黒っぽい布でできた厚い垂れ幕で遮断すれば、完全に別世界。“つり竿”ならぬマイクをにぎりしめた「カラオケ太公望」がいるなんて・・・誰も思わない。「深夜12時過ぎ以降は営業禁止」(最近ではAM2時ごろまで許可されるようになっている)といわれているカラオケ営業にちょっぴり違反し、これまた“ご法度”の「カラオケ小姐を横にはべらしたサ−ビス」(日本ではあたりまえの風景だが・・・)もすこしばかり体験できる場所だ。「灯台下暗し」で中国の官憲の目が届いていない、というのだろうか。いや、厳しい中国で、それも北京の中心地でこんなことはないだろう。ひょっとすると「官憲も見ていて安心」という具合なのかもしれない。こんな交通至便で、サ−ビスの良い“釣魚”カラオケ・クラブもしばらくして、営業停止となった。なんらかの理由があったのだろうか。外国人のわれわれは関心は大いにあれど残念ながら、その楽屋舞台をのぞき見ることはできない。駐在員仲間であれこれ噂するしかない。

<うわさ・その1> 太子党〜高級幹部の子弟〜が特別の許可を得ての営業だが、政敵に糾弾されて停止になったんだよ。
<うわさ・その2> 常に賑わいをみせ、派手になり過ぎたため、営業ができなくなってしまったんだ。(たしかに、営業開始の頃、夜中に、男性二、三人が「北海公園に!」というとケゲンは顔付きだった。しばらくすると、
中国人のタクシ−・ドライバ−はしたり顔で走ってくれた。

*カラオケクラブ「銀座」・・・守衛にガ−ドされた“超”安全カラオケ

  前章で紹介した「釣魚倶楽部」のマスタ−や小姐のおおかたが大挙してやってきて、営業を開始したカラオケクラブ。日本の「ギンザ」の名前を拝借。中国人には“・・・で親しまれていた。市心の北海公園からやや離れた北京市の北側を走る三環路に沿ったところにオ−プン。広い敷地内の大きな建物の一角を借りての営業で、スペ−スは以前と比べて3倍位大きい。引っ越した直後、マスタ−は早速、重要顧客(?)の一人の私に以前の営業の「釣魚倶楽部」との比較を尋ねてきた。中国人は広い場所を好み、日本人はこじんまりした個室的な雰囲気を好むのが一般的。・「もし、日本人客をタ−ゲットにするなら、広い場所でも個室的な雰囲気をかもしだした方がいいですよ」・・・とのアドバイスを早速、提供。また、その後折りにふれて、「ステ−ジを設置し、スクリ−ンを備えたのはよいが、壇上の歌い手は他のお客に“尻“を向けない方が良いですヨ」・・などの提言をするようなコンサルタントになってしまった。きっと顧問料の印なのだろうか? 時折、そのカラオケのマダムが有名な歌やら新曲のテ−プをプレゼントしてくれた。メンバ−も前とほとんど変わらないの。前よりか規模もかなり大きくなったので小姐の数も多くなったが、前のようにほとんど、学生だ。

  ただ、「指名制」が出始めてきたのもこのクラブでは目新しい。事前に電話すれば、指名した小姐がサ−ビスしてくれるし、デ エットで歌ってくれる・・・こんなシステムだ。しかも、特別指名料金を払う必要がない。日本などではよくある制度だが、中国では珍しい。ところで、この「銀座」カラオケ倶楽部は市内から離れているので、ほとんどはタクシ−などでやってくるしかない。このカラオケ倶楽部の建物は敷地内の奥にあり、そこに行くには守衛のいる場所を通過しなければならない。カラオケに行くのに守衛の許可を得なければならないのは、また珍しい。守衛の・・に対して、出租汽車(タクシ−をこう呼ぶ)をいったん止めて、窓から首を出して叫ばなければならない。「ヒラケゴマ!」ならぬ「カラオケ!」と叫べばよい。
すかさず、「どうぞ」のサインで通してくれる。こんな守衛にガ−ドされている卞拉OK倶楽部など、中国広しといえどもここだけだろう。前章で述べた釣魚倶楽部といい、ここといい一般の中国人では借りられない設備だ。なんだかわからないが、政府の大物が関与している雰囲気だ。とにかく、不思議な中国・卞拉OK倶楽部だ。

「美恵」 ・・・・「第二職業」先取り・カラオケ小姐    

これは天安門事件(1989年6月4日)前後の話。北京のカラオケがちょっと賑やかになりはじめの頃。朝鮮族出身の夫婦が経営するカラオケ・クラブ。東北地方の吉林省にももう一店、経営しているという話であったが定かではない。この夫婦がまめに動くために、また日本語のカラオケ・ソングが多かったため、日本人駐在員の出入りが激しかった。改革・開放政策の進展の成り行きか、中国・韓国の交流もはじまった。韓国からの投資も矢継ぎ早に開始された。それまでは北朝鮮からの人々が大部分であったが、急激に韓国人の姿が中国に増えてきた。ビジネスマンだけでなく、北京大学などにも韓国からの留学生が急増した。街中にはメイド・イン・コリア製品の宣伝の朝鮮文字・ハングルも目立つようになった。そんな時機に、日本語以外にハングルのカラオケを置いていたため、この店にも多くの韓国ビジネスマンが訪れるようになった。それまでの雰囲気がガラリと変わったため、日本人の習性でこの店を敬遠するようになった。朝鮮族出身の夫婦が経営ではあったが、日本に留学したりの経験で、言ってみれば“日本人シンパ”だったのだろうか?・・急遽、ハングルのカラオケを取り去ってしまった。当然、韓国人の激減し、それからは日本人と日本人に連れられてきた、中国人が大部分の店となった。
さて、このクラブの小姐たちは昼間は学校に、夜はカラオケにという学生がほとんど。なかで異色なのは昼間は病院勤めの医者。まだ、なりたての身分。夜間はここにという女性だ。そういえば、ある時、昼間の病院勤めだけでは必要な専門書が買えないからとこぼしていた。今にして思えば、流行りの“第二職業”の先端をかけていたことになる。いまでは北京や上海ではあたりまえになった“第二職業”もそのころは珍しかった。“第二職業”は能力と時間を生かし、ウィ−ク・デ−の夜や日曜日を商売の日とする。飲食業サ−ビス業、夜学の先生、セ−ルスマン、理髪師など、多種多様。カラオケ小姐などもとっておきの商売だ。しかし、エスカレ−トしておかしな方向にいってしまうのもなかには・・・。
  この店には「金」姓の小姐も何人かいた。きまって彼女たちの出身は・・地方だ。ご存じのように朝鮮族には「金」姓が多い。中国語を駆使するが、もちろん朝鮮語も一般に堪能だ。中国には50を越える小数民族がいるが、 “朝鮮族“は吉林省を中心にして中国全土で180万人ほど住んでいるといわれている。 「・・」と呼ばれて、親しまれていた卞拉OK・倶楽部も、ある晩、行くと“閉店“の看板が掲げられていた。

*カラオケ・クラブ「胡蝶蘭」〜公安の“抜き打ち検査”も大丈夫〜

  クラブ胡蝶蘭」倶楽部は国務院が投資をするある・・の一階にオ−プンしたカラオケ。不思議なことにこのホテルには二階にもカラオケ・クラブがある。一階は外国人向けなのだろう。歌のメニュ−には英語、日本語そしてもちろん中国語も取り揃えられているが、料金は地元の中国人にはとうてい払えないような額。二階の方はきっと中国人向けなのだろう。歌は中国語が中心。金額も中国人に入りやすくなっている。しかし、効率的な営業はといえば、一つのホテルに二つのカラオケは必要ないだろうに・・・。とにかく、しばらくは存続していた。そのうち、理由はわからないが、一階の外国人向けは閉店した。

 そう言えば、サッポロ・ビ−ルと北京市との日中合弁で建てられた・・・・・・も同じようなケ−ス北京の南西部に位置し、アット・ホ−ムな雰囲気のホテルとして知られていた。規模として決して大きくはないのに、二つのカラオケ・クラブがあった。一つは外国人・・特に日本人・・・向けに、他方は主に中国人対象。しかし、このホテルもしばらくすると、一方のクラブがクロ−ズされた。こちらの方は中国人対象のクラブだ。なぜ、同じエンタ−テインメントを二つも作る必要があるのだろうか? 一つの方が営業的に効率が上るはず。どんなにカラオケ・ブ−ムだといっても、毎晩二つを満員にさせるのは至難の技。なにか別の理由があったのではないか。
  「われわれ、中国人もカラオケをエンジョイできるようにすべきだ」・・・
という要求が出て、営業マインドを抜きにした中国サイドの決着だったかもしれない。もっと勘ぐって言えば、そのホテルの中国人、たとえば、幹部が自由に利用できるようになれば・・・という気持ちがあったのではないか。
そう言えば、こんな話をきいたことがある。日中合弁・第一号というべきニュ−オ−タニ長富宮飯店の地下のショッピング・センタ−の改修計画の案に「カラオケ・クラブ設立」が中国側から提出されたとか。これも案外同様な発想かもしれない。ただし、これは実現に至らなかったが・・・。また、「一つの飯店に二つの卞拉OK倶楽部を」・・・の発案は次のようなアイデアから出てきたのかもしれない。
あるエピソ−ドは北京で卞拉OKが出始めた頃、中国南部の桂林を訪問した。 
 
 卞拉OK・倶楽部の入口の看板には次の表示が。
中国人・・・・60元   台湾・香港同胞・・・60元  外国人・・・90元
これは名にしおう中国政府の推進する“二重価格システム”だ。故宮や美術館の入場券、万里の長城のケ−ブルカ−料金、人民大会堂の入場券、国内航空運賃・・・・など、数え上げればきりがない。カラオケ・クラブまでスペシャル・レ−トだ。「一つの飯店に二つの卞拉OK倶楽部を作る」政策は・・・・・中国のこんな“二重価格システム”に対応する、“苦肉の策”なのかもしれない。しかし、両ホテルのカラオケは一つになってしまった。営業的理由なのか、または他の問題なのかは定かではないが、「営業効率」を唱え出した中国の企業経営政策と時期を一にする。さて、この胡蝶蘭カラオケ・クラブは美人が多いということで有名。日本の「フォ−カス」とか 「FRIDAY」とかで紹介されたこともある。

  中国ではカラオケ小姐はすでに紹介した“三陪”行為は禁止されている。「陪座」・・・「お客の傍らに座ってサ−ビスをする」はその中のひとつ。したがって、ホステスはテ−ブル越しに座る仕組みか、立ったままのサ−ビスとなる。この倶楽部のシステムはスペ−スがあまりないため、「立ってのサ−ビス」が基本だ。オ−プンしたてはその調子だったが、そのうち横に座ってのサ−ビスに変わっていった。しかし、ある晩、全員が立っている。今晩は公安の見回りがあるという。これを「抜き打ちだ」という。ある筋から事前に連絡を受けたのだ。
  しばらくして、公安らしき見回り官数人が現れて、お客の歌うのを数曲聞いた後、引き上げていった。全員が出るやいなや、小姐たちはお客の側に座りいつものようにスマシタ顔でサ−ビスを開始。中国は“関係学(コネ)の国”だといわれているが、このカラオケ・マスタ−は日頃からこれを上手く、駆使しているようだ。さて、外国人向けのこの「胡蝶蘭倶楽部」は当初は日本人や香港人・台湾人で賑わっていたが、しばらくすると地元の中国人の出入りが激しくなってきて雰囲気が変わった。この時期は「个体」すなわち、個人経営者の台頭と一致していた。その後、しばらくしてクロ−ズされた。あんなに流行っていたのに。とにかく、理由は不明。

*カラオケ・クラブ「伴月城」
〜一人っ子の「小皇帝」& おじいさん・おばあさん連れ〜

  クラブというよりかシアタ−といった方がいい。規模といい、質といい、北京では三本の指に入るくらいの良さ。豪華なステ−ジ、大きなスクリ−ン、所々にビデオ、そしてダンスができるフロア−etc.で、デラックスな雰囲気。このタイプは中国人好み。ここはほとんど、中国人のお客。外国人の姿はめったに見られない。メインのカラオケ・タイムの次はプロのシンガ−とバンドが登場してのミュ−ジック・タイム。それが終わるとテンポの早い曲からム−ド音楽まで色とりどりを混ぜたのダンシング・タイムとお客を飽きさせない。とにかく、いろいろなお客。圧倒的なのは若いカップル。年配も少なくない。ファミリ−もあちこちに。珍しいのは子供連れだ。日本などではこのようなクラブには子供は連れて行かないし、店の方も断る。「一人っ子」政策を推進する中国の特色なのかもしれない。二人以上の子供を生んだ場合、罰金の対象となる。したがって、一人しかいない子供は当然、大事に育てられ、甘やかされ、いばった存在。こんなところから「小皇帝と呼ばれる所以だが、そんな一人っ子が夜遅くまでカラオケクラブにいる。そう言えば、おじいさん、おばあさんまでついてきている。まるで、一族郎党で“エンジョイ・カラオケ”だ。カラオケ・タイムの始まり。事前に申し込みを配っている。アナウンス嬢のかわいい声がシアタ−全体に響き渡る。  

アナウンス嬢 「次は鈴木先生の“恰似你的温柔”です。」
こんなに大きな声で呼び出しを受けたのは、はじめてだ。少し、ドキドキだ。しかし、周りは中国人ばかりで、知り合いもいないことだ。構うもんか!・・と。中国語で歌いはじめる。そして、素人の歌い手が続く・・・。次はダンシング・タイム。プロのバンドにあわせて、老若男女が踊り出す。それにつけても、年配の中国人のうまさが目立っている。それにはこんな秘密があるんですよ。中国の老人の踊りについて。いま中国では「老人ディスコ」が盛んだ。ミュ−ジックにあわせて、腰をふりふりする様は日本のおじいさんも、おばあさんもかなわない。早朝の公園では「老人ディスコ」学校が開かれて、毎日、そこで鍛えているから大丈夫だ。

「西城文化会館」 〜ロシア人小姐のサービスぶり〜

  ここの女主人は个体(個人)経営のサクセス・スト−リ−のヒロイン。10年ほど前には北京の郊外・明の十三陵で観光客相手に土産品をほそぼそ売っていたという。今では北京に4階建てのショッピング・センタ−を持ち、あわせて、夜にはこの倶楽部を経営している。北京にはめったにいない自家用車のオ−ナ−でもある。このマダムは精力的に動き回っている。この倶楽部は中央に大きなステ−ジを備え、ダンスもエンジョイできるように広いフロア−もある。また、VIP用に個室カラオケも作っている。お客の大部分は中国人。改革・開放政策の影響で最近、趣向が多岐にわたってきた中国人のあらゆるニ−ズにあわせようと懸命だ。

  ソ連邦の瓦解の後、多くのロシア人が中国にやってくるようになった。そんなロシア人にいちはやく、目をつけて、「カラオケ小姐にしよう!」なんてのアイディアは立派なものハバロフスクの“ナタ−シャ”をはじめとして、三人のロシア人と長期契約を締結。その頃、相前後して、北京日報などの新聞にはロシア人の北京で働く姿が写真入りで大きく報道されていた。主にレストランのウェ−トレスとしてだが。ところで、ロシア人小姐のサ−ビス振りは?・・・と気にかかるところだろう。にこやかに微笑みかけるわけでもない。“請喝(チンフ・・どうぞ)“と言って、ビ−ルを勧めるわけでもない。また、中国語をしゃべってくれるわけでもない。ましては、中国語の歌をデュエットしてくれるわけでもない。ただ、ツンとして横に座っているだけだ。しかし、そんなサ−ビスなのに人気がある。同行の中国人仲間を観察すると、ニコニコと話し掛け、反対に「ホスト」になっている。よほど、ロシア人が珍しいのだろうか、それとも中国人と違った顔・形に興味があるのかもしれない。一方、“ニコニコされないこと”は中国のお家芸で、慣れたもの。
 いまさら目くじら立てるほどのものでないのかもしれない。ところで、ロシア人観が出たところで、中国人の「白人」に対する一般的な感情について一言。これは偏見の部類かもしれないが・・・・。

  北京に駐在中に友人のドイツ人・トムさんとよく食べに、飲みにそして、ときにはカラオケクラブに行った。レストランやカラオケ・クラブなどでの注文を取る際にも日本人の自分に対する態度と西欧人の彼に対する態度がなにか異なっている。西欧人の彼の言い分をより聞くようなしぐさだ。しかし、そんな中国人を非難ばかりできない。日本人はどうかなといえば、同じような対応が目立つ。むしろ、中国人からもっと文句を言われそうだ。さて、西城文化会館の女主人の話に戻そう。看板娘たちの“ロシア人小姐”のためか、エネルギッシュに動くマダムのおかげか、このカラオケは連日、おお賑わいだ。帰りぎわに、再見!  リンム先生、こんどは日本のお客さんを連れてきてね!」と、しっかりとセ−ルス・コ−ルをされた。きっと、これが成功の秘訣なんだろう。

「成沙」 〜日中合弁第一号カラオケ・クラブ〜

 最近、外国企業との様々な合弁事業がでてきているが、カラオケ営業の分野もその例外ではない。この店は日中合弁・卞拉OK倶楽部の第一号。一番目というだけあって、力の入れ方は相当なもの。新宿で活躍していたというプロフェッショナルなママを日本から派遣してきた本格的なクラブ。このママは常にきもの姿で接客し、礼儀作法も日本流を徹底的に教え込む。このようにサ−ビスは徹底していたが、料金も北京で一、二を争っていた。入口をくぐれば、クラブの小姐やスタッフ一同が日本的お辞儀をして、「いらっしゃいませ」を唱和。当のママは一切中国語をしゃべらず、日本語で毅然とした態度で押し通す。圧倒された中国人小姐は懸命に日本語を習う始末。
 とにかく、金銭的にもそうだがこの雰囲気では地元の中国人が来れるような所ではない。日本人のビジネスマンや観光客が中心。中国人がチラホラ混じっているのは日本人のビジネスマンに招待されたお得意か。時には話し振りからわかる香港や台湾からのビジネス客も。ときおり、中国人のグル−プがやってくるが、これは中国サイドの出資者が仲間を引き連れて来るのがほとんど。店全体は中国のム−ドは漂っていなく、まったく日本。ここは中国語・カラオケ倶楽部行脚には不似合いのクラブだ。また、そんなに日本を漂わせるカラオケは私の性には合わないのだが、日本からのVIPには適していたので、時には顔を出していた。さて、合弁カラオケ事業第一号だけあって、日本人ママを除いてプロは誰もいない。男性のチ−フは日本語がしゃべれるだけの旅行会社の社員。小姐はド素人。毎日の営業で冷汗をかくのは件のママだけと推察すると気の毒この上ない。中国のサ−ビス産業の“揺籃期”だ。

  さて、このカラオケクラブ「成沙」と同じビルの同じフロア−に中国人ばかりが訪れているカラオケ・倶楽部があった。エレベ−タ−を右と左で両サイドに倶楽部が。日本の銀座や新宿の歌舞伎町ではこんな風景はざらだが、中国では珍しい。こちらの方が性にあっている。ある時、関係の深い旅行会社から招待状が届いた。シ−ズン・オフのある日の午後、このカラオケ倶楽部を借り切って、慰安の“カラオケ大会”が開かれた。とにかく、真っ昼間からのカラオケ大会なのである。もちろん、参加の意思表示をして、何曲かの中国語の歌を。相手の中国人の中には日本語の使い手も多く、日本語の歌もかなりの域に達している者も数人いた。最近の中国にはこんな形式のカラオケ大会も多くなった。

「康楽宮中心」 〜ダイニング・カラオケのはしり〜

  「食の国・中国」。“歌うこと”と“食べること”とが結び付くのは当然の成り行きかもしれない。「卞拉OK餐店」、いわゆる、“カラオケ・レストラン”の登場だ。上手い歌なら我慢もできよう。下手な歌では料理もまずくなると言うもの。しかし、「ご心配無用」。日本人的感覚と中国人のそれはまったく違っている。なんとなれば、中国人の食事風景を想像してください。ワイワイガヤガヤと食べている中国人の食事の雰囲気に他人の歌は入ってこない。たとえ食事以外の時でも他人の上手い下手は気にしないのが中国人気質。こんな点を比較すると日本人の方が意識過剰というところ。こんな“カラオケ・レストラン”のはしりが北京にあった。

  話はちょっと溯るが、1990年の北京アジア・オリンピックは大成功の評価。そのオリンピックを機会に北京の郊外の広い敷地が開発されて、かなり変容した。いろいろな施設が建てられたが、この康楽宮中心のレクレ−ション・センタ−もその一つ。ジャングル・プ−ル、ボウリング場、各種ゲ−ム・・・。そして、ここにもカラオケがある。しかし、ほかのとはちょっと違っている。レストランで歌うのだ。大きなスクリ−ンやステ−ジは珍しくない。珍しいのはお客側だ。いろんな料理にパクついている観客を目の前にしての熱唱。けっこう流行ってお客の出入りも賑やかだ。その頃、北京日報だか、晩報だかの新聞にもそんな“カラオケ・レストラン”の繁盛ぶりが紹介されたことがある「食」と「歌」を同時にエンジョイするのは今では、あたりまえになってきて、全国に広まっている。

  これも“カラオケ・レストラン”のスタ−ト時期の話。北京のある日中合弁ホテルの日本人総経理(支配人)はエネルギッシュでアイデァ・マンこんな「ダイニング・カラオケ」にヒントを得て、中国人のお得意様の接待には「食事プラス卞拉OK」。ホテルの会議室にビュッフェ・スタイルの食事を提供し、中央にはステ−ジとマイクが準備されている。食事もやや進んだ頃、カラオケ・ソングのリクエスト・フォ−ムが回る。かくして、「私設ダイニング・カラオケ」の誕生だ。多少は不器用なセットの仕方だが、中国側の招待客はお構いなし。“歌うこと”と“食べること”をエンジョイできるのだから・・・。こうして、深夜まで盛り上がる。もちろん、その後のビジネスもうまくいったのは当然。こればかりではない。商売にまで繋げてしまった。年末年始には大会議場を模様替えしてダイニング・カラオケにしてしまった。格安で一般中国人を募集。日本ではやりの“クリスマス特別ディナ−”みたいな格好で・・・。中国ではフレッシュなビュッフェ・スタイル、中央に立派なステ−ジ、周囲はきらびやかなデコレ−ションもと。カラオケ・タイムに加えて、ダンシング・タイムも取り入れている。かくして、押すな押すなの盛況となった。

[桂林]〜外国人価格のカラオケ・クラブ〜

  中国に赴任して間もない頃の話。中国でも最も有名な観光地・桂林を訪問した。漓江下りを始めとして、水墨画の風景はまさしく「桂林山水甲天下」(桂林の山水は天下で一番だと感じ入った。こんな昼間の観光につられて、夜の桂林もまた、すばらしかろうと歩き回った。賑やかな通りの一角に中国語「卞拉OK」の文字が目に入った。そのころはこの文字はまだまだ珍しい部類。入口をのぞくと、看板の横に料金表がくっきりと見える。
  外国人・・・90元  香港・台湾同胞・・・60元  内国人・・・60元

 前にも述べたように有名な中国の二重価格制度だ。香港・台湾同胞はこのスペシャル・レ−トに気を良くしてか、店は台湾人や香港人でいっぱいだ。反対に90元で感情を害した外国人は、私を除いて皆無。中国駐在したての頃の話なので、中国語は分からないし、チャイニ−ズ・ソングも一曲も歌えない。しかし、雰囲気だけでもつかもうとした。それにしても物好きな自分だ。その時に、そんなカラオケの二重価格制度に抗議しようとした。なぜなら、中国語カラオケに行っても、一般に外国人は歌えないし、また他人の歌を聞いてもそれを理解できずエンジョイも出来ない・・・となると反対に60元以下もしくは半額くらいにすべし・・・と。しかし、その後、一律になったので抗議できずしまいになった。さて、中国の二重価格制度は先に述べたように各種入場料や国内航空運賃などで、いまだに残っている。卞拉OK倶楽部ではなくなったのが、なぜだかわからない。案、次のような理由なのかもしれない。

<その1> 改革・開放で中国人の懐具合はよくなってきて、裕福な個人経営者をはじめとしてリッチな中国人が続々誕生してきている。敢えて優遇策を採用しなくても、多くの中国人がカラオケに行ける時代となったから。
<その2> 政府には「卞拉OKは悪の温床」という意見もある。二重価格制度の推進はその温床のカラオケを政府が奨励することになると考えたのかもしれない。

[上海] 〜これぞ、上海ビジネス・カラオケ!〜

  上海は改革・開放の先頭集団を駆けている。訪れる都度、新たな上海を見せてくれる。最近、上海の人々の生活はかなり豊かになってきている。同様に、精神的な面での変化も大きい。小さな事例だが、かっては外国からの旅行者が飯店のごみ箱に捨てた物が、「忘れ物」と思われ何日か後に本人に届けられたというエピソ−ドもあった。今では神話に近い。社会的富の歪みで問題点が次々現れて、社会犯罪の増加を招いている。「向銭看」の雰囲気が蔓延している。これは「向前看」で“常に前を看て歩こう”をもじった言葉で、「拝金主義」を意味する。こんな主義の一端か、タクシ−でのぼったぐりやホテルでの過度のチップの要求なども横行している。夜のカラオケでのトラブルも少なくない。上海では特にひどい・・・というこんな予備知識が多かったせいか、上海への訪問が多い割りには、「中国語・卞拉OK行脚」の題材が至って乏しい。「上海では一人ではご用心!」。

  したがって、知り合いの上海の美人姉妹の道案内で新しくできたという上海人“お勧め”の卞拉OK倶楽部に入った。きらびやかなクラブはやはり、上海人好み? 新建築での特徴は、大きなフロア−とともに個室が増えていることである。きらびやかな入口を入ると、“うなぎの寝床”よろしく個室群がエンエンと続く。案内の小姐に尋ねると、大きなグル−プから小さなものまで、そして料金に関しても、どんな要望にも応じられる体制とか。さすが、上海人ビジネス。
  ところで、この姉妹は姉の方は日本語の達人、妹は英語を自在に駆使するエリ−ト中国人というところ。それぞれ習得した両方の言語を使いこなす職業に就いている。姉は外国人を扱う中国では有名な旅行社社員として、急増する海外からの旅行者相手に中国を紹介している。妹はアメリカの船会社の上海支店で各種英文の船荷書類をテキパキと処理していそんな姉妹に連れだってのカラオケ訪問。それぞれが得意の分野の歌を披露。姉は日本の歌を。妹は英語の歌を。当の私は習いたての中国語で・・・と三カ国語が飛び交い、かくしておかしな上海カラオケ・ナイトは夜遅くという具合になった。この上海姉妹のご推薦のカラオケ・クラブは個室で歌曲のナンバ−を指定すれば、次々登場する最新式モデル。施設といい、ソフトといい、中国の水準のトップを行っている。

[大連]〜カラオケ小姐の化粧の濃さは中国随一?〜

  “アカシアの大連”なんて、遠い昔になってしまったんだろうか? 旅行社のパンフレットに「アカシアの」という形容が入ると、年配者の注意は引くが、海外旅行ブ−ムの立役者・ヤング・レディ−にはトンと人気がないからやめようという。そう言えば、毎年、この街で「アカシア祭り」が催されるが、日本からの観光客は圧倒的に年配者だ。んな大連だが、最近、日本からの進出企業がずいぶん増えた。中国・・・地方の玄関口として、南の広州や上海に追い付き、追い越せとばかり頑張っている。そして、めざましい進展を遂げている。国に駐在中、たびたび大連を訪れた。ほかの都市と大きな違いはない。
  しかし、大柄で背丈の高い中国人が多い。そんな背の高い男女が雑踏を横切るのを見つめていると、「アレッ」と気付くことがある。街行く女性の化粧が中国の標準からいえば、飛び抜けて艶やかことだ。すらりとしたプロポ−ションで、口紅の濃い小姐となれば、交差点を渡る際に後ろを振り向きたくなることは男性として当然。なるほど、そういえば大連のデパ−トの化粧品売り場は北京や上海と違う。鈍感な男性の私自分でも分かるほどのアデヤカさ。こんな環境から発したのだろう。大連のファッション・ショ−は中国中に鳴り響いている市をあげてファッション産業に取り組んでいる。最近のニュ−スでは“モデル育成専門学校”を大連に作ったという。しかし、「なぜ、ファッションが大連か」のはっきりした理由はわからない。
  さて、こんなアデヤカな小姐がこの街の卞拉OK倶楽部で活躍しているらしい。期待に胸ふくらむ思いで、あるカラオケ・クラブを覗いた。日本人も来るらしい。日本の歌も何曲か揃えている。それほど、カラオケの流行っていない頃の訪問なのでレコ−ドが何枚かある程度の状態。質素なカラオケの部類。さて、それほど背が高くないので、尋ねると「広州からよ」と一人の小姐。もう一人に聞くと「桂林よ・・」。なんだ二人とも南からか。せっかく大連女性に期待をかけていたのに・・・・。尋ねると、大連には南部の広州や桂林からの出稼ぎがかなり混じっているという。とにかく、期待外れの大連・カラオケナイトになってしまった。連しかし、中国は南ばかりではない。北も南と同じくダイナミックに動きつつある。

[深土川のカラオケ]

  中国の“改革・開放のリ−ダ−”として自他共に認める都市・深・。そのめざましさは隣の香港を追い抜く状態。最近では香港の方が動きがスロ−で静かな位といったら言い過ぎか。この街は中国の他の都市とはちょっと趣を違え、高層ビルが立ち並び、ビジネス街と工場地帯だ。中国でのビジネス・チャンスを求めて、世界中からひっきりなし。香港から列車で羅湖で下車。入国管理事務所には西欧人・東洋人のビジネスマンが長蛇の列。その事務所をぬけてやっと深・に到着。 深・きっての五星(デラックス)飯店のシャングリラ・ホテルは今日も満員らしい。ここは観光客でなくビジネス出張者が大半だ。その証明にビュッフェ形式の朝食から男性陣のビジネス・ト−クが始まっている。生活テンポは中国本土のヤッタリさとはほど遠く、香港と変わりない。
  そういえば、ここは中国領・深せんだというのに、中国貨幣の人民元でなく、香港ドルが使われているのは不思議。んなきぜわしいビジネスマンをエンタ−テインしようと、夜の部もにぎやかだ。その内の一つにカラオケクラブはかかせない。しかし、深・を訪れるビジネスマン・旅行者にはガイドブックや観光ガイドから事前にきつい注意が与えられる。“悪質なカラオケクラブにはくれぐれのご注意を”・・・・と。かくして、“安全といわれる”シャングリラ・ホテル「亜洲西餐・卞拉OK酒廊」に。大きなスクリ−ン、ダンス・フロア−、ボックスシ−トは中国スタイル。一人の客が多かろうというわけか、シャレたカウンタ−は中国では見当たらないステ−ジにはマイクとともにイスまでも。歌うのに立ってでも、座ってでもどうぞということなのだろう。中国の本場だけあって中国語の歌のメニュ−は色とりどり。ちなみにこのホテルには香港やシンガポ−ルからのビジネスマンは多い。東南アジアに一大チェ−ンを持つこのホテルらしい。カウンタ−で中国産“青島口卑酒”をチビチビやっていた。
   小姐  「 ・!となりに座っていい?」
   私  「う−む」(もぐもぐ・・・と)
    (・・・・すわりこんで・・・・)
  小姐  「一緒に歌わない・・・それとも踊らない?」
    ( ・・・・積極的に、話し掛けてくる)

その種の女性なのかと・・・それにしてもここは中国なのにと思ったが、北京からこれだけはなれていればしょうがないのだろうか?適度にビ−ルを飲み、退散する段になって、「チップを払って!」とせがむ。カウンタ−でむりやり横に座ってきて、矢継ぎ早に話し込み、あげくにチップだなんて。これが最新の深・か。深・での夜に宴会に招待された。ロ−カルのチャイニ−ズ・レストランでということになり、市内からちょっと離れた場所にやってきた。中国語で「食街」。レストラン街だ。各店の表にはオリが幾つもあり、蛇やら鳩やらが入れられていた。
  しかし、これだけではない。通りの一角には20人ほどの小姐たちが立っている。彼女たちから特別に大声を掛けられるわけではない。ただ、こちらを向いているだけだ。レストランの主人に聞けば、こんなために。男性のメンバ−だけで食事にきた場合を想定しよう。どうやら、男ばかりでは殺風景。食事に花を添えよう、というわけで通りの角の小姐から何人かを選ぶ。ワイワイガヤガヤの宴会が終われば、その部屋はカラオケ・セットを備えている。インスタント“卞拉OK倶楽部”に変身。そのカラオケ・ホステスとデュエットもというわけ。近くにはディスコもあり、歌の次には踊りとか・・・・。それにつれても中国では垢抜けた&開かれた街・深ところで、通りの小姐たちとレストランとの関係をみると、仲がいい。それもそうだ。食事にきたお客が彼女たちを招きいれれば入れるほど、“売上増”に結びつく勘定になっいる。

西安] 〜 「露天・卞拉OK」はいかが?〜

  
「長安」の都として1、000年以上の栄華を極めた西安はいまでも世界中からの観光客が引きもきらない。日本人観光客も多いが、それ以上にヨ−ロッパやアメリカからのツ−リストが目立つ。
 この古都は中国西北地方の随一の都市として、また陝西省の省都として賑わいを示している。こんな歴史深い都市も街を歩けば、人や自転車の洪水で歴史の街のイメ−ジを感じさせない。騒々しい街をキョロキョロしながら、歩いていた。ある賑やかな店先にやってきた。店の前には3、4卓のテ−ブルが置かれ、お客が何人か座わりその中の一人がマイクを握り、店先に設置されたビデオ画面を見ながら声を張り上げている。これが「露 天卞拉OK、いわゆる「ストリ−ト・カラオケ」だ。歌い手のテ−ブルのうえには、中国ロ−カル名産の生あたたかな・・・が置かれている。道行く人は物珍しく立ち止まって、聞き惚れて(?)いる者も大勢。日本であったら近所迷惑もいいところ。苦情が殺到すること間違いなし。この「露 天卞拉OK」のご主人は営業開始前に隣近所にあいさつに行っているのかもしれない。きっと、こんな挨拶で近所巡りをしているかもしれない。
  「お騒がせします。ヒマな時にはうちで歌ってくださいョ!」と。ところで、隣近所の許可はこんな調子でよいが、天下の公道の使用許可はどうなっているのだろうか、と気に掛かる。西安以外でも「露 天卞拉OK」があるとは聞いていたが、遂にお目にかかれなかった。中国を旅行して帰ったある友人がこんな話をしてくれた。シルクロ−ドの・・での「露天卞拉OK」。道路に置かれたカラオケ・セット。「はい、一元だョ!」と投げ出せば、好みの曲をかけてくれるという。こんなカラオケを内モンゴルでもお目にかかったという。これはつい最近のこと。中国と同じように改革・開放政策、いわゆる「ドイモイ」政策で活気を帯びるベトナムを訪問した。ここで「露店卞拉OK」に似た「CAFE KARAOKE」を発見。コ−ヒ−を楽しみながらの歌だ。さすがにフランスの影響を強く滲ませた国で、コ−ヒ−好きなベトナム人らしい。しかし、「お茶の国」の中国人にはコ−ヒ−はなじまない。したがって、「CAFE KARAOKE」は流行りそうにない。

 さて、西安に話しを戻そう。こんなストリ−ト・カラオケの後に、中国でおきまりの仕事関係者との大宴会。度のきつい白酒(高梁、トウモロコシ、ヒエなどの穀物を原料にした無色透明の蒸留酒。アルコ−ル度は50〜60度の強い酒。貴州省の・・酒は特に有名。でかなり、酩酊し、仲間三人で夜の西安の散策に。あるホテルのカラオケに入った。中国人でぎっしり。テ−ブルを確保し、早速ビ−ルを注文。しばらくすると、
   「・・・!」
と言って、二人の女性がこちらのテ−ブルにやってきた。
   「こちらに座っていい?」
   「どちらから来たの?」
ちょっと間をおいて、
   「なにか歌わない?」

最初の内はこちらも面食らったが、どうやら、その手の女性かと推測。ならば、相手にするもんかと・・・。しばらくして、中国語ができないのかと思われたらしい(たしかにそうだが・・・・)。隣りのグル−プの男性に同じ調子で話し掛け始めて移ってしまった。それにしても古都・西安は北京以上だ。ところで、西安に限らずその種の女性が誘う場合、中国ではカラオケが登場する。ある時、三国志で有名な成都に行った。空港からホテルにチェック・インし、部屋に入った。荷物を置いた途端に、リリ−ン。
  私   「もしもし・・・」
  女性  「・・先生ですか?」
  私   「う−ん?」
  女性  「今晩、おひま? カラオケに行きませんか?」
  私   「だめだよ。今晩は宴会だよ!」
(それにしても、このホテルにチェック・インすることを誰も知らないのに・・・。ホテルのボ−イとつるんでの商売なんだろう。5星の立派なホテルのスタッフなのに。)とにかく、日本では「コ−ヒ−をどう?」や「ちょっと一杯・・」とかの話し掛けが、この中国では「ちょっと、カラオケに行かない?」だ。しかし、ご用心! ご用心!

[太原]〜田舎カラオケ?  とんでもない!〜


  
山西省・省都「太原」。といっても日本人にはそれほどナジミはない。北京から西南に500km余,特快列車で約9時間。この省の大同石窟は「中国の三大石窟」の一つとして名を馳せている。また、聖なる五台山があるところとして有名だ。その五台山を巡り、太原の街に来た。夜は地域の観光振興のオエラガタとの宴会だ。山西省の産業はそれほど有名なものはない。てっとり早く、外貨を稼ぐには海外からの観光客を誘致することだ。しかし、この省は派手な観光宣伝はまだまだだ。どんな方法が・・・と議論は続く。そんな話はいつしか中断され、宴会が盛り上がる。北京では縁が薄くなってきたマオタイ酒が出されるちょっぴりリッチな晩だ。
  なぜなら、高価なマオタイ酒は国内の宴会では慎むようにオフレが出ているという。そんな高価な酒は輸出にまわして、外貨を稼ぐようにということだ。「乾杯!」「乾杯!」で一次会が終了。二次会のない国・中国といわれてきたが、最近、大きくチェンジしてきている。卞拉OK倶楽部などが登場したためだ。中国人のライフスタイルが大きく変わってきている。観光振興の旗振りの一人が「田舎の卞拉OKでもどうぞ・・・」と。案内してくれたのは予想に反して立派なビル。階段を上って、4階に到着。暗いドア−を開けると大勢の人でにぎやかだ。これがカラオケ? 中央にライトが当てられているのは、身のこなしや歌からしてプロの歌手らしい。この歌に併せて広いフロア−で大勢踊っている。若いカップルも多いが、年配もかなりだ。外国人はひとりもいそうもない。丁度、ダンシング・タイムに入ってきたのだろうか。しばらく、この“踊り”タイムが続き、次は呼びだし嬢の声で“カラオケ・タイム”が始まった。結構、上手い。音響効果もバツグンだ。「いなかの太原」とみくびっていたが、こんなところにこんな設備があるなんて・・・。中国がわからなくなってしまう。
  ところで、カラオケもそして設備もそうだが、中国人の「ダンス」もうまい。ダンスといってもソシャル・ダンスのことだが・・・。大勢の中国人がほれぼれするような踊りを見せてくれる。年配になればなるほどだ。「こんな田舎なのに・・・」と思ってはいけない。そういえば、かって一週間かけて、蘭州から敦煌までのシルクロ−ドを車で走った時である。晩の宴会の後に案内された時も、ロ−カルだから・・・と大きく期待をしなかったがところどころで、洗練されたダンスにお目にかかった。
  こんな話を聞いた。「共産党の幹部になればなるほど、ダンスがうまい」・・・と。たしかにそのとおり。組織・会社の総経理(社長)になるのには、共産党員の方が一般に有利。シルクロ−ドの旅に同行してくれた、旅行社の女社長も共産党員。ダンスはことのほか上手。共産党とダンスがこのように結びついていることは大部分の日本人は知らないそういえば、北京のある大きな旅行社の・・・が部長に昇格した頃の話。もちろん、その彼も共産党。
   ・・・  「今、ダンスを習っているんですよ」
    私   「フ−ン、仕事中に?」
   ・・・  「ええ、一週間に一度、講習会が開かれるんですョ」
    私   「私は共産党員ではないけれど、どうですか?」
   ・・・  「だめですョ!」
と。とにかく、ソシャル・ダンスは共産党幹部には必須科目なのだろうか?
ダンス論議はさておき、北京から遠く離れたロ−カルにも中国の開放改革の波は急速に広がっている。

[洛陽] 〜“牡丹の街”のカラオケ〜

  河南省の洛陽は西安と並ぶ歴史の街。李白、杜甫、白居易などの歴史上の詩人が中国文化を高めた地でもある。ところで、古の都の洛陽は牡丹で有名だ。毎年4月になると、一斉に咲き揃う。この時期には中国各地はもちろん、海外からも観光客が押し寄せて来る。日本のある旅行社が「牡丹祭りと中国・中原の旅」を企画・募集していた。ある年の牡丹節(祭り)に招待された。王城公園の中の牡丹を愛で、さすがは「花の中の王」とあらためて、その素晴らしさにに感嘆し、夜は例によって歓迎宴に招待された。その後は有志に連れられて、その街で一番というホテル内のクラブに繰り出した。ダンス場とカラオケがある場所だ。かなりの混みよう。もちろん、外国人は自分だけ。カラオケには多くの申し込みがあり、なかなかまわってきそうにない。
 しかし、他人の中国の歌を聞いたり、うたっている格好を見るだけでもエンジョイできるものだ。シンガ−は前にでて、やや高くなっているステ−ジに立つようになっている。やや暗くなって、ム−ドがあり、ロ−カルとしては立派な施設の部類。その頃、中国語の歌のレパ−トリ−もそれほどでもないが、中国側のむりやりのリクエストを受け、同行の有力者の秘書嬢と一緒に「北国之春」を歌う羽目になった。暗くて冷汗が見えず、助かった思いだ。 

  その時、「人混みの中に市長も来ている・・・」という話。そばに座っていた地元の有力者が「市長を紹介しましょう!」ということになり、早速、簡単に挨拶。夜のこんななごやかな場所で仕事の話しは無粋だが、「日本からの観光客が増えるよう、お互いに頑張りましょう」という会話に進展。通常ならなかなか会えない人物に会うことができ、その上、仕事の話にも言及。とにかく、中国カラオケ・クラブはビジネスの場所としての役割をちょっぴり果たしている。

[海南島]〜中国のハワイのカラオケ〜

 
中国には生まれた土地以外に行ったことがない、という中国人もかなりいる。しかし、そんな中国にも「ハネ−ム−ン」が登場してきた。その決定版が「中国のハワイと呼ばれる海南島。中国唯一の亜熱帯気候区に属し、冬でも海水浴ができる場所。温和な気候に加えて、他の省では見られない風光明媚な景色が所々に。海南島の南・「天崖海角」は中国の多くの歌のなかで登場し、中国全省に知れわたっている。観光的要素だけではない。
  この海南島は1900年に広東省から独立し、「海南省」と命名。現在、「経済特別区」の一つとして、めざましい発展を遂げている。こんな海南島にもカラオケは進出している。いや、首都・北京以上に進んでいるのではないか。軒数も多いが、営業形態も北京とはずいぶん違う。深夜12時の営業終了なんて、ここではさっぱり守られていないし、果たして、こんな通告が到達しているか疑いたくなょっとすると、カラオケ営業では中国のパイオニア−ではないかと思える位。数人で南国・海南島のカラオケ・クラブにくりだした。“うなぎの寝床”よろしく、表には幾つかのテ−ブルが並べられ、そこではビ−ルを楽しむ何人かのお客が。中に入ると比較的ゆったりした細長い部屋。一番前にカラオケ・セットが置かれ、店の小姐にリクエスト票を出すシステムになっている。とにかく、中国語ばかり。こんな南海の島には日本人はあまりきそうにない。日本語がないのは当然かもしれない。香港が近く、そこからのお客が多いと言っていた。
  しかし、なんかへんな造りだ。だんだん分かってきたことは、カラオケと違う商売も目論んでいるらしい。カラオケ小姐がセ−ルス・ト−クをし始めた。そういえば、表のテ−ブルの白人が座っていて、話していたのはこんな目的だったのか。ころで、海南島ではボ−ト・カラオケが有名だ。実際、見ていないのでどんな船かわからないが。海南島の南部の都市・三亜。市内を歩くと入江には水上生活者があちこちにの船に生活している。その生活する人のためにボ−ト・タクシ−が行き交っている。橋のたともとの水上タクシ−乗り場ではおじいさんやおばあさんがじょうずに乗り込んでいる。入江一杯の船だ。そんな水上の生活者にも陸上の人々に負けないようなカラオケがあるわけだ。

[その他・都市]
敦煌や内モンゴルでの「街路カラオケ」の情報が伝わってきた。道路にカラオケ・セットが置かれ、「はい、一元だよ!」と投げ出せば、好みの曲をかけてくれる。中国に改革・開放の波がうねり、中国沿岸部から内陸部に急速に浸透している。カラオケ全盛が内陸の都市に伝播している。
以上