鈴木 勝 研究室
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三菱総合研究所MRI「中国情報」
    「”市場熱線” 観光」(マーケット・ホットライン)  
 <1999年4月〜2000年3月   毎月連載>

「最新・日中航空事情」 (1999年 4月)
「変貌する中国観光旅行&変わるツーリスト」 (1999年 5月)
「中国人の海外旅行ブーム@」 (1999年 6月)
「中国人旅行者がいっぱい!  返還後の香港」 (1999年 7月)
「中国旅行産業の”CS”」 (1999年 8月)
「伝統の北京ダックから、マクドナルドまで」(中国“食”事情) (1999年 9月)
「中国“おみやげ”事情」 (1999年10月)
「最新・中国観光ガイド事情」 (1999年11月)
「中国人の海外旅行ブームA」
〜なかなか解禁されない『日本観光旅行』〜
(1999年12月)
10 「中国の観光プロモーション作戦」 (2000年 1月)
11 「急ピッチで進む中国・観光インフラ」 (2000年 2月)
12 「アウトバウンドへの転進  (中国旅行産業の隆盛と旅行社)」 (2000年 3月)


*最新「日中航空事情」 (1999年4月)

   「世界の航空会社は逃げていき、次々に飛来する中国籍航空機」。
 これが最新「日本の空」事情。98年に中止のフライトはノースウェスト(米)、カンタス(豪)、キャセイ(香港)、イベリア(スペイン)、ガルーダ(インドネシア)etcだ。これらは日本経済の不振で、日本人海外渡航者が落ち込み、日本から撤退、もしくは地方発着を中止した航空会社だ。彼らの市場分析やイールド・マネジメント調査によれば、「もはや、日本路線はドル箱ではない!」。

 これにひきかえ、中国籍航空機は98・99年には増加の一方。中国の主な航空会社が目指す路線にほぼ完全に就航。かくして、中国都市へは13の広がりを持つ。北京、上海、大連、青島、広州、西安、杭州、天津、瀋陽、武漢、重慶、廈門(アモイ)、昆明。一方、日本サイドも負けてはいない。成田、大阪、名古屋、福岡、仙台、広島、長崎、新潟、岡山、福島、富山、札幌。華やかな就航の理由にはいろいろある。
まず、日中間路線の旅客・貨物の需要の激増に対応するためだ。旅客面では天安門事件以降、年率平均二桁台で、急上昇してきた。
91年  123万人(33%増)
92年  157万人(28%増)
93年  188万人(20%増)
94年  212万人(13%増)
95年  247万人(16%増)
96年  274万人(12%増)
97年  295万人( 8%増)
 
次に、航空会社間の路線と便数拡大の激しいシェア競争を展開。87年に国営中国民航は「非効率」、「低サービス」、「官僚主義」排除を標榜し、競争原理を導入し、国際航空、東方、西南、西北、南方、北方に分社化された。
その全てが98年には、日本に乗入れ成功。しかし、最近、急速に収益が悪化し、「全社赤字」と報ずる日本の新聞も登場。これは中国経済が鈍り、旅客輸送量の減少が主な理由であるが、他方、旅客の流れに着目しない就航、便数などの航空事業経営もその一因のように思える。
これからの中国航空業界の課題は多い。航空会社再編、便数調整、人員合理化などのオオナタが必要だ。

*「変貌する中国観光旅行&変わるツーリスト」(1999年5月号)
   団長、副団長、秘書長などと物々しい肩書を持った一昔前の旅行団は、最近ではかなり影を潜めたが、熟高年層中心の「○○友好訪中団」、「XX協会中国の旅」はなお、健在だ。
  しかし、こんな中国観光マーケットに、最近、“華やかさ”が増してきた。日本人海外渡航者1,600万人時代の立役者の、20〜30才代のヤングレディーである。彼女達の行動は北京、上海などの大都市を中心にして、その輪は地方都市に拡大中。ところで、彼女達を引きつける魅力は何だろうか。まず、ホテル。
A群「友誼賓館」「民族飯店」「北京飯店」「五州大酒店」「錦江飯店」。
B群「シェラトン」「ヒルトン」「ハイヤット」「リッツ・カールトン」「シャングリラ」。

インターナショナルな彼女達の好みは、もちろんB群派。この群のホテルに慣れ親しんで、特に中国では“安心感”と“清潔感”が一層引き付ける。A群飯店では「旅」の気分にはならないらしい。
かくして、民族系より欧米系ホテルの利用率は圧倒的に高くなる。二番目は「気楽に参加のパック旅行」。従来の訪中団は多人数で、観光や三度の食事(それも中国料理のみ)も組込んだ、こんな窮屈な旅程は彼女達には向かない。

 飛行機+ホテルだけで、自由行動の多い、スケルトン型が北京や上海を中心に急増中。また、往復のフライトやホテルを自由に選択でき、しかも一人参加が大きな魅力。こうして、中国旅行はハワイやグアムの形態に急接近。三番目は、「低料金と短期間」。ハワイなどに比べると、まだ高いと指摘されるが、かなり安価になった。一方、従来の中国の旅は長期間。
  しかし、今では北京や上海は3日間でも楽しめるし、シルクロードや敦煌も5〜6日間で巡れる。また、飛行機が各地に飛び〜広州、青島、瀋陽、天津、武漢、アモイ、桂林など〜種々の日程が組める。しかし、ヤングレディーの進出はまだ不十分。今後の中国観光振興は内陸部の国際級ホテルの増設如何。加えて、彼女達の“旅心”をくすぐる、グルメ、エステ、買物などの魅力の開発だ。これに成功すれば、“後続部隊”の「子連れファミリー」や「ハネムーン」も夢物語ではない。

*「中国人の海外旅行ブーム」      (1999年6月)
     「泰国・香港・澳門10日游5,200元」、「韓国5日游(済州島、釜山、漢城)4,100元」。
  これは上海の街角で見たある旅行社の海外旅行勧誘の宣伝文句である。(なお、泰国はタイ、澳門はマカオ、漢城はソウルとなる。一元=¥15)。
最近では、これらの国々のみならず、アジア、オセアニアへの中国人の海外旅行は“ブーム”となっている。中国流に言えば、“出境旅游熱”という。(厳密に言えば、中国では「海外旅行」ではなく、「外国旅行」と称すべきだろう。なぜならば、「海」でなく、「地」続きの外国…タイ、ベトナム、ミャンマーなど…が多いからである。)最近の伸びの状況を示そう。
93 年3,740千人
94年 3,734 (対前年0.2%減)
95年 4,520 (対前年21 %増)
96年 5,061 (対前年12 %増)
97年 5,324 (対前年 5.2%増)
  
  98年および99年前半の数値に関しては中国国家旅游局に問い合わせても不明であるが、旅行環境やシェアの高い香港の伸び率から推測すると、少なくとも前年比10%は超えていることは間違いない。アジアの渡航国としては冒頭のタイ、香港、マカオ、韓国以外に、シンガポール、マレーシア、フィリピン。オセアニアではオーストラリア、ニュージーランドがある。
ところで、中国政府は長らく、国内旅行のみを認め、国外への旅行を許可してこなかった。
 しかし、改革・開放経済の進展とともに、徐々に国外への門戸を開いていく。「83年香港」、「84年マカオ」、「91年指定旅行社ツアーによるマレーシア、シンガポール、タイ」、そして、現在は上記に掲げた国々である。また、この“出境旅游熱”が加速された大きな理由がある。
  95年5月からの中国人の「労働時間短縮」である。1日8時間、週40時間。土・日曜が完全休日となる一方、有給休暇は7日から15日間となり、10日間以上の休暇が取れやすい環境となる。加えて、97年7月「中国公民自費出国旅游管理暫定弁法(規則)」の制定・施行で、「観光目的」での旅行が許可されたことである。(なお、スタート段階では、「観光渡航」でなく、「親族訪問」名義であった)。かくして、最近の一般中国人の3大願望は「自動車、パソコン、海外旅行」だそうだ。中国人は、この地域だけに限らず、アメリカ、欧州そして、日本へと「完全なる観光渡航の自由化」を狙っている。以上

*「中国人旅行者がいっぱい!…返還後の香港」    (1999年7月)
 
「外国人にとっては、閑古鳥が鳴く地であり、中国人には“行ってみたい国内観光地NO.1”」。これが‘97年7月以降の香港の観光事情だ。全外国人動向の中で、とりわけ、高いシェアを占める日本人の激減が外国人凋落の主原因。一方、これをカバーする形で中国本土から旅行者が増加している。ちなみに、数字で表わせば…、
<香港への渡航者>
      96     97     98
全世界
日本  169万   238万    136万
    +17%  +40%    ▲43%
中国

  日本人渡航者を見ると、返還年の前年は、240万人に上り、ハワイを抜き去り、一位になったが、翌年から下降し、99年の現在でも低迷状態を続けている。凋落の理由を探れば、「買物天国の魅力が失われた」、「ホテル料金をはじめ、物価が高い」などの実質的な理由以外に、「中国返還で、イギリス的な自由な雰囲気が無くなり、窮屈に…」というメンタルな要素がありそうだ。(実際のところ、返還前と大きく変わってはいないが。)
 また、「返還直前の駆け込みで、大勢のツーリストが行ってしまった。4,5年すれば、また戻ってくる…」という意見もある。根拠のないことではない。しかし、このような悠長な状況で待っていられないのは、観光立国(?)の香港。同時に、観光的整備からのプレッシャーもある。返還を機に、東洋の「ハブ」を目指した、大規模なチェク・ラップ・コク空港の完成である。また、ホテルの増設もある。

返還前95年:86軒
1999年 :118軒(+37%)
かくして、観光振興の中心的な機関HKTA(香港観光協会)が世界中に働きかけると同時に、北京政府への懇請となる。返還直後には中国人の香港入域は政治的な理由で押さえられたが、98、99年はウナギのぼり。中国人にとっての“ゴールデンウィーク”「春節」の今年は、香港の街は中国人でかなりの賑わいを示した。そんな中国人目当てに、街中の両替商、銀行、宝石店などには、鮮やかな中国国旗「五星紅旗」と「人民元・大歓迎」が目立った。

*「中国旅行産業の”CS”」(1999年7月)
 「CS」は“カスタマー・サティスファクション(顧客満足度)”のこと。
  近年、中国でも叫ばれており、この効果もかなりある。その証左を観光産業から拾えば、「中国への外国人観光旅行者数の増加」、中でもサービスにやかましい日本人の数字の伸びを検討すれば、十分であろう。

       1993年  94年   95年   96年    97年
人員(千人) 912  1,141   1,305   1,548   1,581  
伸率(%)  15.2   25.1    14.4    18.7    2.1  
       (資料)中国国家旅游局

  
  併せて、国際的数値は、96年における「国際観光到着者数」は2,277万人で、世界第6位(90年は12位)。世界有数の「観光大国」である〜WTO(世界観光機関)発表〜。中国は改革・開放政策の打出し以来、観光産業のインフラ整備(ハード&ソフト)に邁進してきた。
  ホテル、航空を含む交通網、レストラン、テーマパークなどの観光諸施設であろう。特に、ホテルに関しては、外国資本を大胆に導入。かくして、ヒルトン、シェラトン、ウェスティン、シャングリラ、マンダリンなど、世界トップクラスのホテルが林立。ここでは、「公関小姐(ゲスト・リレーション嬢)」により、チェックインはもちろん、滞在中も常に、にこやかなサービスを受けらる。これと競争する民族系ホテルも格段の改善度となる。一方、中国民航は6会社への分社化で、サービス競争も激しくなり、機内アナウンスも中国語、英語、そして日本語さえ聞けるほどなった。
  ところで、大都市空港では、日本語アナウンスも登場している。
  また、国際・国内便の「」…訳して、“時間どおりに飛ぶ比率”。政府トップの掛け声で、改善度は諸項目中で、トップレベルとなる。一方、レストランのサービスは、香港返還も加わり、広東料理が北上し、北京や上海などで大評判。料理プラス、微笑み、スピード、お絞りが加わる。…といろいろ、CSアップ項目を拾ってきたが、これらはあくまでも北京や上海などの“沿岸部大都市編”のこと。

  内陸部となれば、残念ながら、相変わらずのホテル、レストランでのサービス状況である。となると、中国におけるCS評価は、「従来は5点満点方式であったが、現在は10点満点でないと不可能」と言えそうだ。サービス格差が“倍加”されているからだ。WTOが予測している。「2020年の中国への国際観光到着数は1億3,710万人で、世界NO.1」…中国全土が沿岸部大都市並みになれば、これも夢ではない。(注)「中国への国際観光到着数」は中国で1泊以上滞在する旅行者を指し、香港、マカオ、台湾等からの旅行者も含む。

*「伝統の北京ダックから、マクドナルドまで」  (中国“食”事情)    (1999年9 月)
     最近の中国旅行の誘いには、料理を前面に打ち出した、いわゆる、「グルメ・ツアー」が盛ん。「北京ダック」、「宮廷料理」、「薬膳料理」、「羊肉しゃぶしゃぶ」などの伝統料理に加えて、「麺を極める」、「点心を極める」、「旬の一皿・上海蟹」、「餃子宴」などの「食在中国」のアピールである。従来、中国旅行における三度の食事は、「総合服務費」と呼称される予算で仕切られ、中国(地方)色豊かな料理のオンパレードで、名物料理や中国料理以外の選択が不可能であった。
 しかし、最近の旅程ではホテルや食事を自由に選択できる余地が拡大され、「旅」を更にエンジョイできるシステムに変化している。長期旅行では、どのような名物でも、美味しい中国料理でも飽きてしまうのは常。最近では、日本料理、合弁ホテルでの西洋料理、朝鮮料理など種々の料理を挿入できる。また、中国料理でも一般的に日本人に好まれる海鮮料理や広東料理が中国の全土に進出していることも「食」を楽しくさせている。

 最近、子供連れファミリーが多くなった中国の旅には、マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキンなどのファースト・フードも好まれ、人気を博していることも変化の一つ。同時に「食」に付随の酒類も、中国では近年、豊富。「青島」、「北京」などの地ビールはもちろん輸入物に加えて、生ビールも一年中飲める。白酒(アルコール度50〜60度の蒸留酒で、茅台酒が有名)、俗に老酒と呼ばれる紹興酒、評判の合弁ワイン、また、ブランディーもレストランで用意してくれる。場所としては、人民大会堂や釣魚台国賓館などの特別の場所で、国賓級メニューの食事も可能。
  また、「食+ショー(京劇・雑技など)」や「食+カラオケ」もリクエストに応じて準備してくれる。ところで、このような名物料理、特別メニューの豊富さもさることながら、「採り皿」や「おしぼり」を用意したりするスマートなサービスや清潔感が身に付いてきたことが大変化といえよう。加えて、深夜営業のレストランも多くなっている。このような状況は天安門事件以前には全く見られなかったこと。しかし、こんなサービスや食事も、内陸部に入れば、例えば、西方のシルクロードなどでは、まだまだ少なく、ローカル色豊かだ。しかし、見方によれば、中国の「食」はそれだけバラエティーに富んでいることになり、「食」の面からも味わい深い「観光大国」とも言える。

*「中国“おみやげ”事情」    (1999年10 月)
  「月落烏啼霜満天…」。
  この張継の「楓橋夜泊」の掛け軸が、中国のどの土産品店でも購入できる。寒山寺のある蘇州でなら購買の衝動に駆られるが、暑い海南島ではその気分になれない。同様に、中国内のどの商店で求められる、酒泉名産「夜光杯」も同じ感情だろう。
  今までの中国旅行のお土産はどこへ行こうとも、きまって同じ。「友誼商店」と称される店舗で、掛け軸、漢方薬、白酒、印鑑、筆・硯…と、特に熟高年層を意識した品揃えばかりであった。
     しかし、最近のショッピングは様変わりしている。ブランド物を中心にした、免税店DFSの進出であり、また、これに対抗する、民族系土産品店であろう。かっての「友誼商店」も立派な店舗に改築する一方、観光の昼食時に立ち寄るレストランも、大型土産品店に模様替え。
  また、北京や上海の国際空港の商店も、品揃えも豊富になり、購買意欲を掻き立てる。同時に、スタッフのセールス・マインドも向上。しかし、正直のところ、まだまだ外国人旅行客の購買心理や客層の勉強が必要であろう個所も多い。観光客が賑わう万里の長城付近におけるシルク販売店の「閉じ込め」商法などの強引販売、大幅割引セールス、ニセモノ販売なども目立っている。日本人でも、熟高年、OL,ファミリーの客層で土産品は大きな差異があり、彼らの研究も必要。また、商品も全国同一ではなく、地域独自のオリジナル商品が現在の中国では、一番求められている。「買わない客層」も増えつつある状況を認識し、いかに買わせるかの工夫を凝らすことも大切であろう。

  販売手法として、独自性あるものとして、ある医科大学での成功的販売がある。ドクター数人による、「健康セミナー」&「個別診断」の後に、漢方薬販売も好評を博している。このようなアイディアが求められている。また、最近のツーリストは専門性を求めている。専門店の開発と宣伝が必要である。外国人旅行者が中国の土産品に支払う経済的効果は、ホテルやレストランと同様、莫大なものである。ちなみに、「日本人が海外の旅先で行った活動」の最新データは次のごとし。
「日本人が旅先で行った活動」 (資料)JTBレポート‘99
1)「自然風景観光」    (62.0%)
2)「買物」              (57.4%)
3)「歴史文化観光」    (41.4%)
4)「グルメ」            (30.8%)
5)「美術館・博物館見学」(27.4%)           
となれば、中国旅行産業関係者の“お土産品”へのなお一層の努力を期待したい。

*「最新・中国観光ガイド事情」   (1999年11 月)
     観光旅行の良し悪しは、ガイドにより決定されるといわれる。中国旅行もその例外ではない。むしろ、諸外国に比して、より重要性を帯びている。
  なぜなら、ハワイ、グアム、バリ島などのリゾート地と異なり、悠久の歴史を有する中国の説明には、よほどの中国通でない限り、例えば、北京の故宮、万里の長城、西安の兵馬俑坑などを理解することは至難の技。ガイドの説明が頼りである。したがって、中国の旅行産業ではガイド教育は特に、重要視されている。 また、歴史的にも外国人と接する職業であり、「民間外交官」と見られ、教育には力を入れられてきた経緯がある。ガイド自身もプライドを持ち、出迎える外国人のお客の国民性や習慣を徹底的に研究してきた。

  例をとれば、日本人客であれば、観光旅行でも背広・ネクタイで迎え、サシミを好物とし、カラオケ上手となる(他方、欧米系ガイドは、空港にはジーンズ姿で出迎え、カラオケよりもディスコ上手となる…これが一般的)。こう見ると、諸外国における観光ガイドとやや状況を異にし、語学面でも、実力的にも世界的水準では群を抜いていることはたしかである。しかし、このような状況も近頃はかなり変化し、質的に下がってきていると指摘されている。これは急激な旅行需要の増加に加え、旅行商品の低価格化によるコスト削減の影響で、従来のガイド水準を維持できなくなっているからである。
 
  また、旅行形態の変化もある。空港からホテル間だけの送迎だけの旅行、いわゆる「スケルトン・タイプ」の旅行も多くなっている。こうなれば、ベテランのガイドは実力を発揮する分野が減少することになる。また、低廉化の影響で、団体の到着後にオプショナル・ツアーの販売やショッピングの勧誘に余念がなく、せちがらいガイドにならざるを得ないのも最近の実態である。
  一方、旅行客サイドも責任がある。従来は中国の歴史・文化に関心を持った年配者が多かったが、最近はホリディとして、たまたま中国を選んだヤングや家族も多く、悠久の歴史の説明を聞かず、眠ったり、ワイワイ騒ぐお客に落胆しているベテラン・ガイドも多い。
  ところで、最近は「ガイドは中国を背負っている」という大上段に構えたガイドが減り、「ガイドは旅のエンタテーナーである」と認識するガイドが多くなっている。近代的なレジャーとしての「旅行」を理解した、洗練された若きガイドが多くなり、中国の歴史・文化に加えて、「ありのままの中国」を紹介し、中国旅行のファンを増加させている。

「中国人の海外旅行ブームA」〜なかなか解禁されない『日本観光旅行』〜
(1999年12月)

   中国人にとって、“出境旅游熱”、いわゆる、「海外旅行ブーム」が、特にアジアの国々を中心にして続いている。
  土・日曜の週休二日制、労働時間の大幅な短縮、中国国内旅行の割高感がさらに拍車をかけている。ところで、中国人の外国旅行は観光目的の場合の渡航先は、自由に選択できるわけではない。
  「ADS(APPROVED DESTINATION STATUS)対象国」と称される国々に限定されている。中国政府はアジアでは、タイ、韓国、シンガポール、マレーシア、フィリピン、そして、オセアニアではオーストラリア、ニュージーランドを決定している。これらの国々に続き、「日本」が第8のADS対象国になるか、ホットな両国間協議が継続されてきた。本年初頭の状況では「1999年は日本観光ブーム」と予測されたが、遂にこれも空振りに終わり、2000年に持ち越されるのは確実である。
 今年の初めに中国側は解禁を発表したが、日本政府は不法滞在者の増加を招来するのではないかとの懸念で、ビザ発給に厳しい条件−例えば、20〜30年代若年層の除外、出発地制限、指定旅行社制度など−を提示し、そのため政府間協議は暗礁に乗り上げたという。現在も膠着状態である。方向性が決定しながらも、実現されない状況に焦燥感を抱いているのは中国側もそうであるが、日本の観光産業界は特に強い。不況の中で、中国人観光客がドッと訪れてくれるならば、「中国人ツアーは救いの神」になること間違いない。とりわけ、旅行会社は日本人の海外旅行が伸び悩んでいる現況で、解禁への期待も大きい。

  既に解禁後の受入れに備えて、準備も万端である。ホテルや旅館と共同で、中国人ツーリスト受入れのためのセミナー開催、現地視察の実施、中国語によるパンフレット作成、プロモーション活動のために事務所設置やベテラン・スタッフの配備などが行われている。一方、政府機関であるJNTO(国際観光振興会)は解禁に備えて、昨年、北京事務所を設置し、既に宣伝活動を開始している。ところで、最も観光解禁を望んでいる中国人の嗜好を見てみよう。好評な日本での観光スポットをアンケートから探れば、東京ディズニーランド、新幹線、ディスカウントショップ、地下街のショッピングセンターなどが登場し、「お寺」には関心がないらしい。

*「中国の観光プロモーション作戦」 (2000年 1月)
    昨年(1999年)の訪中日本人渡航者数は、1月―10月で17.4%増(前年同期比)の151万6,900人であり、年間ベースでは180万人に到達しそうである、と中国国家旅游局は述べている。
  世界各国とも伸び悩んでいる中で、二桁台の伸びは好調な推移といえる。このせいか、近頃の中国は観光プロモーションに熱がこもっている。昨年は建国50周年を機に観光推進上の好材料が続出し、種々のイベントが催されたり、新たな観光的事業が完成した。
  注目されたのは、昆明の世界園芸博であり、また、北京・首都国際空港の新ターミナル建設や上海浦東の新空港オープンである。
  一方、JD(日本エアシステム)の成田/広州線、西安線などの日中間航空路線に新規就航もあった。さて、中国政府(国家旅游局)は毎年、「○○○の年」と命名し、観光誘致作戦をとっている。昨年は「中国エコツーリズム年」とした一方、今年は「神州世紀の年」(神州とは中国を指す)とし、観光宣伝に更に拍車をかけている。

  ところで、過去にも「VISIT CHINA YEAR」(中国訪問年)のキャッチフレーズがあったが、中国人はこの種の標語を好み、実行に移す技を持つ。しかしながら、観光プロモーション作戦としてまだ一歩と言うところも少なくない。スタートは華やかだが、後が続かず掛け声に終わってしまうケース。観光キャンペーンの開始時には政府トップが外国人の訪中客を表彰し、翌日の新聞やテレビで派手に報道されるが、その後はこの熱意が継続されない。また、観光キャンペーンで不思議な催し物といえる例として、99年夏期の「北京旅游」宣伝。多くの中国人のファッションモデルを引き連れて、都内のホテルで華やかにショーを披露、同時に山手線車内を北京ムードにする作戦をとった。
  たしかに、近年の中国の変貌ぶりの紹介でそれなりに効果もあったが、単発的イベントは果たしていかなる効果があったか不明。近年のプロモーションは熱意が溢れ、より効果的にはなってきているが、必要なのは「継続性」とともに、日中の観光関係者を巻き込んだ「一体性」が重要と指摘されている。
  他方、中国観光関係者による活動も活発化している。多数の中国人が“セールス出張”という名目で来日する。大部分は、各省観光行政、旅行社、飯店(ホテル)のトップで編成される旅游交易会やミッションが多い。トップ・ダウンの国柄であり、ある程度の効果は見込めるが、観光推進のための具体的提言が少なく、説得力に欠ける。トップ・メンバーの単なる“日本国視察”に終わらせず、日本人の『新たなマーケット(ファミリー、ヤング、OL、ハネムーンなど)』誘致を目指した、実動部隊によるプロモーションが強く期待されている。こうなれば、毎年、日本人200万の訪中客も間近い。

*「急ピッチで進む中国・観光インフラ」 (2000年2月号)
  中国における観光客の受入インフラが、最近、急激に整いつつある。
  まず、上海。既に市街地には多くのホテルがあるが、これに加え、開発地区・浦東にはハヤット、シャングリラなどのデラックスホテル群が増え、また新たな浦東新空港が完成した。観光客、ビジネス客を迎える体制が一段と充実したことになる。 
  一方、上海と張り合う北京もまた、同様である。5星のホテル群も加わる一方、空の玄関口・北京国際空港も一新された。また、“中国の銀座”の王府井や北京駅周辺の北京市街は見違えるような景観にチェンジした。郊外の万里長城へは高速道路の完成で、かっての一日コースの見物が、今では「3時間コース」も可能。
 他方、観光客やビジネス客誘致のために体制を整いつつある地方都市も多い。東北地方の大連や瀋陽は空港や外資系ホテル建設が盛んである。日本からの直行便就航で、日本人客も多くなってきた。今まで東北地方は中国全土で、観光インフラ整備で遅れをとっていたが、この不名誉を返上している。他方、広州、桂林などの南部は中国では開発が早くから進んでいたことは衆知のこと。となると、中国での観光インフラ整備に関しての課題地域は広大な内陸部ということになる。
 さて、急速に進むハード面に比して、ソフト面はスローな状態で来たが、近頃、動きが活発化している。微笑での応対や観光ホスピタリティーに関しては、世界のスタンダードに向けてただ今、特訓中である。
  注目すべき最近の動きは合弁旅行会社設立である。中国では「机と電話」があれば、世界中の観光客の受け入れは十分と思われていた。ホテルやレストラン建設には外国資本の導入が許可されたが、外資系旅行会社は御法度であった。そのため、外国人旅行者のCS(顧客満足度)はもう一歩。最近、旅行業に特別なノウハウが必要なことが認識され、外資導入に歩み出したわけだ。これを受けて、日本の大手、JTBは近々、合弁旅行会社を設立する運びになっている。これに続き、欧米の旅行会社の進出も噂されている。

 また、ソフト面では、外国人観光客の動向データの迅速な発表だろう。従来は、各種データは月日が経過した後に発表されることが一般的であった。最近では、日本人の中国入国者数は、インターネットのホームページを見れば、翌月に判明するという変化。迅速な発表は、観光関連産業にとって、トレンドをいち早く把握でき、将来への戦略を立てることが可能であり、重要なことである。
 以上を見れば、着々と“観光大国・中国”に向かっていることはたしかである。「2020年に国際観光到着数は1億3、710万人に達し、世界一の旅行目的国になる」とのWTO(世界観光機関)の予測は果たして、現実になるのか楽しみである。

*「アウトバウンドへの転進 (中国旅行産業の隆盛と旅行社)」(2000年3月)
     近年、中国における旅行産業は活発な動きを見せている。これは単に政府が積極的に推進するインバウンド分野、いわゆる、「外国人による中国旅行」だけでなく、中国人の海外旅行と国内旅行も急上昇である。三種の中で、中国へ経済的効果をもたらす外国人の受入には、国家旅游局を中心に力が入る。まず、外国人の到着数に関し、1999年は史上最高の旅行客を迎えた(中国国家旅游局発表)。

NO. (訪中者) (万人) 

(前年比増%)

日本  185 18.0
  韓国     99   56.8
ロシア  83  20.4
アメリカ  73  8.7
マレ−シア  37   24.2
モンゴル  35  −2.8
シンガポ−ル  35  11.4
フィリピン  29  16.3
英国  25  6.6
10 ドイツ  21  13.4
  世界全体 843万人

 18.6

  
  とりわけ、97年7月以降、アジアの通貨危機で落込みを見せていたアジア諸国(韓国、マレーシア、タイ、インドネシアなど)の復活が著しい。次に、中国人の海外旅行は近年、二ケタ台の伸びを見せているし、国内旅行に至っては、1998年には6.9億人の旅行者があったことが報告され、今後も増加の傾向を示している。
 これら中国人の動きは経済的ゆとり、労働時間の短縮などのおかげである。
  さて、伸び行く三種の旅行客に対応する中国の旅行社はどのような組織であろうか。
    制度的にT類、U類、V類に分けられる。T類は海外の旅行社(者)と直接交渉できる資格を有し、U類はT類旅行社が受けた外国人旅行者の地上手配(ホテル、食事、列車など)を行う。V類は中国人の旅行だけの取扱いと限定されている。
  T類旅行社は多々存するが、代表格は北京にある中国国際旅行社総社であろう。全国各地の国際旅行社分社との連携を保ちながら、世界の旅行マーケットに応じて、社内の組織を細分化している。日本部、欧州部、米国部、東南アジア部、散客部(FIT個人客)、国際会議・インセンティブ(報奨)部などである。実際に旅行の接待・斡旋を受け持つ大規模のU類旅行社もほぼ同様に区分、すなわち、マーケットに応じた部・課の編成をとるケースが一般的。
 
  他方、近年急上昇の中国人旅行に関しては、V類だけでなく他類の旅行社も加わり、海外部や公民部とかの名称が付けられている。中国国際旅行社総社に例をとれば、海外部を設け、ビルの一階に「中国公民旅游部」カウンターを設置し、種々の海外旅行パンフレットを置く。インバウンド中心であった中国旅行社は、中国人の海外・国内旅行の激増時代を迎えて、アウトバウンドの会社や部・課がさらに拡大されている。